国境の中心性、境界地域の世界性 – CSEAS Newsletter

国境の中心性、境界地域の世界性

Newsletter No.83 2025-06-11

パトリシオ・アビナーレス教授インタビュー

略歴: パトリシオ・アビナーレス(Patricio N. Abinales)氏はフィリピン南部のオザミス市出身のフィリピン政治研究者。最近、ハワイ大学マノア校アジア研究学科の教授を退職。主な著作にドナ・J・アモロソ氏との共著State and Society in the Philippines(2017年)、また最近著としてPresidents and Pests, Cosmopolitans and Communists(2023年)がある。
(著者近影:壁に掛かるのはカロライン・ハウ教授のご両親の絵画作品)

2001年から2011年まで本研究所の前身である東南アジア研究センター、東南アジア研究所において教員を務め、フィリピン政治社会の研究者として、京都を拠点に世界の多くの研究者と共同研究をすすめられたパトリシオ・アビナーレス先生が現在研究所に滞在中です。この機会に、研究について、影響を受けた人や本について、お話をうかがいました。

──ご研究について教えてください。

権威主義の日常的な形態について研究しています。それは15年にわたるフェルディナンド・マルコス大統領の独裁政権下で、フィリピン大学(UP)内でも常態化していました。私がこのテーマに関心をもつようになったのは、急進的政治学の聖域という表向きのUPイメージと、キャンパス内に広がる学生の政治的無関心との驚くべき矛盾を目の当たりにしてからです。これは近年に限った現象ではなく、1970年代後半から起きていたことです。

フィリピン政治の研究は、制度的支配の認識可能な手段とそれに対する民衆の抵抗に焦点を当ててきました。しかし、この力が日常生活でどのように行使されるのか、人々の態度や行動をどれほど変容させるのかについては、ほとんど研究されていません。官僚は自分たちの職権でいかに権威主義的な施策を押し戻し抵抗するのか、いうなれば官僚が弱者を守る手段についての研究もあまりありません。私はここにいる6カ月間に論文の初稿を書きあげたいと思っています。

──研究の道に進むきっかけや、今のご研究に至った経緯について教えてください。

私は歴史を学ぶのがずっと好きで、現在の研究は、大学生になって間もないころにさかのぼります。マルコスは1972年9月に戒厳令を発令しましたが、ほどなくして学生と教員、職員がキャンパス内で抵抗運動を始めるのを目にし、参加しました。今の研究は自叙伝のようなものと言ってよいかもしれません。

──研究で出会った印象的なひと、もの、場所について、エピソードを教えてください。

フィリピン大学の学部生だったとき、二人の教授に刺激を受けました。一人はマルクス研究者のフランシスコ・ネメンゾ教授で、フィリピン政治の研究方法についてたくさん教わりました。もう一人、歴史学者のウィリアム・ヘンリー・スコット教授からは、周縁化されたコミュニティの生活を調査するにあたってたいへん有益な助言をもらいました。

大学院では指導教官だったベネディクト・アンダーソン教授から、同氏の言う「ネガティブな比較」の重要性を教えられました。中国研究者のヴィヴィアン・シュー教授は、「下からの声」をたどり、分析する方法を指導してくれました。また、白石隆教授からは国の諸制度、特に警察などの機関の重要性を教わりました。

私が最も精力的に研究活動に取り組んだ場所は、一つはニューヨーク州イサカにあるコーネル大学です。政治学専攻の大学院生として、また同大学の東南アジア研究プログラム研修生として研究を行いました。もう一つは京都大学の東南アジア研究所(本研究所の前身)で、そこで私は10年間教員を務めました。

──影響を受けた本や人物について教えてください。

影響を受けた本はかなり多方面にわたります。ロバート・ダーントン著『禁じられたベストセラー:革命前のフランス人は何を読んでいたか』(原著The Forbidden Best-Sellers of Pre-Revolutionary France)とジェームズ・C・スコット著『弱者の武器』(Weapons of the Weak: Everyday Forms of Peasant Resistance)は、社会集団、特に貧困者の「心情」を理解するのに有益です。私は国家形成に関心をもっており、ジョン・ファーニバル著「リヴァイアサンの誕生:ビルマにおける英国支配の始まり」(The Fashioning of Leviathan: The beginnings of British Rule in Burma)とステファン・スコウロネク著『新しいアメリカ国家の建設:1877年から1920年における国家行政能力の拡大』(Building a New American State: The Expansion of National Administrative Capacities, 1877–1920)を読みました。また、さまざまな形態のローカルパワーを知りたくて、アルフレッド・W・マッコイ編『周縁に生きる人々:無名でごく普通のフィリピン人の伝記』(Lives at the Margin: Biography of Filipinos, Obscure and Ordinary)や西崎義則著『タイにおける政治的権威と地方アイデンティティ』(Political Authority and Provincial Identity in Thailand)をよく手に取ります。

博士論文のためにフィールドワークをしていたとき、フィリピン南部のミンダナオ島でムスリムの人たちと出会いました。そして、ミンダナオ島が海域東南アジア、さらには世界といかに強く結びついているかを知りました。この二つの体験から、帝国主義国とその植民地における国家形成について、また、国民国家の国境地域におけるナショナリズムとコスモポリタニズムの緊張について比較研究を試みるようになりました。

──理想の研究者像は?

私の理想の研究者像は、フィールドワークに十分な時間をかけ、調査対象とするコミュニティの言語を学び、そのうえでアーカイブに当たり、予期せぬ資料を探し出す人です。

──研究の成果を論文や本にまとめる際の難しさをどのように克服していますか?

国民国家の境界地域にあるコミュニティや、そこで不法に居住し周縁化されている人々を調査研究するときに常に直面する課題は、彼ら彼女らの話をどこまで公開しようと思えるかどうかです。

──調査や執筆のおとも、マストギア、なくてはならないものについて教えてください。

インタビューする相手、調査対象とする人たちの話を長期間にわたって聴く力。調査対象への理解を深めるために徹底して資料調査を行う忍耐力です。

──若い人におすすめの本があれば教えてください。

ジョシュア・バーカー著『恐怖の国:ポストコロニアル都市の警察』(State of Fear: Policing a Post-Colonial City、2024年)は、インドネシア・バンドンの治安維持活動を取り上げた、歴史的民族誌の優れた著作です。地方レベルのパワーと抵抗に関心があるなら、ぜひ読むべきです。次にダイアナ・キム著『悪の帝国:東南アジアにおけるアヘン禁止の台頭』(Empires of Vice: The Rise of Opium Prohibition Across Southeast Asia、2020年)は、東南アジアの植民地国における別種の警察活動を考察しています。ティム・ハーパー著『アンダーグラウンド・アジア:グローバル革命家たちと帝国への挑戦』(Underground Asia: Global Revolutionaries and the Assault on Empire、2022年)は、アジアの若い革命家らが世界を回り、自国の革命に向けて国際的な連帯構築に取り組む過程を興味深く描いています。

最後に、東南アジアの人々も日本人もみな、今日のアメリカの混沌たる状況を懸念し、なぜこんなことが起きているのか疑問を感じていることでしょう。スザンヌ・メトラーとロバート・リーバーマンの共著『4つの脅威:アメリカ民主主義の繰り返される危機』(Four Threats: The Recurring Crises of American Democracy、2020年)は、権威主義的・排他的政策が優勢であった米国史を振り返り、いくつかの事例を比較検討し、トランプ主義を歴史的文脈で論じています。

──今後の抱負をお聞かせください。

私に資源があり、もっと健康であれば、東南アジア各地を巡って、各地の齧歯(げっし)類と住民の相互作用について村民に聞き取り調査を行い、仮題ですが『ネズミ王:東南アジアの政治、疫病、生態系』(Tikus Raja: Politics, Pestilence and Ecosystems in Southeast Asia)という本を書こうと思います。フィリピン料理の世界に関する本も完成させたいと思っています。

新しい友人と。サンボアンガ国際空港にて(2024年11月)
    ミンダナオ州立大学タウィタウィ校の学生たちとともに(2024年11月)
 

(2025年4月15日)

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“The Centrality of the Borders and the Cosmopolitanism of Frontiers”
Interview with Professor Patricio N. Abinales