ヌルル・フダ・モハメド・ラジフさんインタビュー
略歴
ヌルル・フダ・モハメド・ラジフ(Nurul Huda Mohd. Razif)氏は東南アジアのマレー社会およびイスラームにおける婚姻と親密性をテーマに研究を行う社会人類学者。現在、日本学術振興会特別研究員として京都大学東南アジア地域研究研究所(CSEAS)に所属。西オーストラリア大学とパリ政治学院で人類学とフランス語を学んだ後、2018年にケンブリッジ大学で社会人類学の博士号を取得。ライデンとパリで各種フェローを歴任するとともに、ケンブリッジ大学社会人類学部エヴァンス・フェロー(東南アジア研究担当)、ハーバード大学ロースクールの客員研究員(イスラームの法と社会プログラム)を経て現職。2024年にはノルウェーのベルゲン大学でマリー・キュリー研究員に着任予定。Asian Studies Review、Archipel、Hawwa: Journal of Women of the Middle East and Islamic World誌などに論文を発表している。個人サイト:https://nhmraz.com/
──ご研究について教えてください。
ひとことで言うと、社会人類学者として、現代マレーシアにおける親密性、イスラーム、国家の交差点に焦点をあてて研究しています。具体的には、なぜ一夫多妻婚(一人の男性が複数の女性と結婚して妻とすること)が統計的に増加しているように見えるのか、それはマレーシアからタイ南部に駆け落ちして結婚するカップルの増加と何か関係があるのか、偶然の一致に過ぎないのかを探っています。マレーシアでは、イスラーム法の下で婚前・婚外の性的な親密性は犯罪とされており、ムスリムのカップルにとって、そのことがニカー(nikah、結婚)を通じて自分たちの関係を「ハラール化する」(halalize、ハラールな、つまり許されたものとする)べく、重圧となっていることがわかりました。しかし、花嫁の父親やワリ(wali、男性後見人)の許しを得ること、(別の妻をもとうとする男性にとっては)複数の家族を養う経済力を証明することなど、イスラーム家族法では結婚に厳格な条件が課されているために、マレーシア国内で合法的に結婚することは特に難しく、そのため近年、タイ南部への駆け落ちが増加しているのです。
不可解なのは、マレーシアのイスラーム当局が、こうした駆け落ちを抑制するための方策を何らとろうとしていないことです。それどころか、タイのイスラーム当局と連携して駆け落ちの際に合法的なイスラームのニカーを結ぶルートを簡素化し、たとえ一夫多妻婚の資格がなくても裏口から結婚しようとするカップルを事実上容認しているのです。私の研究は、駆け落ちしたカップルがマレーシアに戻った後についても注目していますが、ほとんどの人は、末永い幸せを見出してはいません。国境をまたぐ駆け落ちに対する規制がないために、特に夫の経済的不履行や情緒的怠慢に見舞われた際には法によって保護されるという透明性や確実性がない「秘密の」一夫多妻婚に巻き込まれた女性やその子供たちをさらに不安定な立場に追い込むのです。
私は研究を通じて、恋愛と法の間にある点と点を結び、国家の法制度が親密性の行方に、また逆に親密性が法制度に、どのように影響を与えるかを明らかにすることを目指しています。
──なぜ研究者の道を選んだのでしょうか。また、現在の研究テーマやアプローチをどのように選びましたか?
マレーシアでは信じられないほど一夫多妻がありふれています。もしあなたがマレー人なら、家族の系譜をたどればどこかに多くの妻をもった男性がいると思います。テレビをつければ、間違いなく一夫多妻をめぐって繰り広げられる連続ドラマを目にすることになるでしょう。米国の人類学者パトリシア・スローン=ホワイト(Patricia Sloane-White)がその著作で示したように、一夫多妻に関する性的な「ジョーク」はマレーシア企業の職場にも、もちろん家庭にも浸透していて、どこかに「新しい支店を開く(buka cawangan baru)」という「脅し」によって、妻たちは夫が愛とお金と献身を他の家族に向けることのないよう、夫の意に沿うふるまいを続けねばならないのです。今日のマレーシアに住むマレー人にとって、一夫多妻は文字通り脈々と受け継がれ、まさしく国民的な心配ごと、「執着」とさえ言ってもよいほどになっていて、宗教政治的言説や日常生活に蔓延しながらマレー社会に定着しています。さらに、一夫多妻へのどのような批判もイスラームそのものへの侮辱と考える男性優位の宗教的・政治的マレー人エリートによって守られてもいます。
私がマレーシアにおける一夫多妻婚の定着に関して問題だと感じたのは、まさにこの点です。一夫多妻という建前としての「宗教的」実践によって、抑圧を経験し、苦しんできた女性たちによる、もう一つの声を抑え込んでしまうのです。現実をみれば、マレー人は一夫多妻慣行における男性の悪行が原因で夫婦の不仲や離婚、家族制度の崩壊といった悲惨な話に見舞われ続けているのに、一体それはどのように、法律や宗教、国家レベルで聖域、不可侵とされるようなアウラを獲得するようになったのか、そのことを理解するため、私は一夫多妻を脱構築したいと考えました。
一夫多妻の全体像をとらえるただ一つの方法は、徹底的かつ長期の民族誌調査を行うことです。一夫多妻当事者の夫婦らに話を聞き、そこに至った要因や状況、その決定が彼らの人生をどのように変えたかを理解すること、またイスラーム裁判所で裁判官にインタビューを行い、審理を傍聴し、アーカイブ調査を行って法の実践を確認すること、さらに一夫多妻家庭に住まわせてもらい、一夫多妻の家庭を営む人々の日常的実践について知ることです。
それが研究者の道を選んだ理由です。ただ、職業として研究者を選んだ理由はまったく別にあります。自分が情熱を注ぐテーマに知的に取り組む醍醐味に加えて、研究者になれば、マレーシア、西アフリカ、南アジアを行き来して育った幼少期からの私の遊牧(ノマド)的な生活を続けることができると考えたのです。ポスドク時代だけでも、世界的なパンデミックが猛威を振るった時期だったにもかかわらず、3つの大陸をまたいで5つの国(イギリス、オランダ、アメリカ、フランス、日本)で生活してきました。この生活は他人には薦められるものではありません。スーツケースひとつ携え、新しい国に行くたびに荷ほどきして社会保障番号を集めてまわるのは肉体的にも、精神的にも、感情的にも、また経済的にもかなり消耗します(これは実際、短期間有期雇用契約が一般的となり、終身雇用や常勤職が徐々に消滅しかかっている世界の研究者労働市場の終末的な状況を示す兆候となっています)。しかし私は遊牧的なキャリアの道を行くことで、ヒジャーブ(頭髪に巻くスカーフ)が常に争点となり、アカデミアにおいてWOC(有色人種女性)の存在がなきに等しい国々において、女性ムスリム研究者として生きるとはどのようなことかを学んでいます。素晴らしい友人、同僚、恩師との出会いに恵まれてもいます。このような経験は、私の学術的な仕事とは関係がないように見えますが、人類学者としての世界への理解を確実に深めてくれています。
──研究で出会った印象的な人やできごと、もの、場所について教えてください。
一夫多妻のような異論の多いテーマについて執筆するのはストレスが溜まりやすいものですが、幸いなことに、研究の旅を続けている間、素晴らしい場所に住むことができました。ケンブリッジには、博士論文を仕上げた美しい場所という大切な思い出がありますし、毎年、恩師と下宿の女性主人とお茶をするために帰郷し続けています。女性として、また人類学者としての今の私があるのは二人のおかげです。ロックダウン下のパリの通り、セーヌ川沿いを歩いたことも魔法のような経験でした。もう二度と観光客のいない光の都をみることはないでしょう。短い期間ではありましたが、街を丸ごと手に入れたようで、写真への情熱を再発見することにもなりました。日本もまた、魅力あふれる場所です。京都に来て程なく、日本アルプスを旅して回った時に夫となる人に出会い、ここCSEASで初めての結婚パーティーを開きました。フィールド調査で対象者に話を聞くとき、彼らはいつも、マレー語のジョドー(jodoh、運命。私たちはそうなるようにできているという意味)という考え方を持ち出して、彼らが出会って結婚した配偶者(たち)について話してくれます。10年近く結婚について研究してきてようやく、私は彼らの言葉の意味を理解したのです。
──特に影響を受けた本や経験について教えてください。
人類学者としての私を形成した一冊といえば、ピアーズ・ヴィテブスキー(Piers Vitebsky)のReindeer People: Living with Animals and Spirits in Siberia(『トナカイの人々─シベリアで動物と精霊とともに生きる』)です。本書は、シベリア北東部に住むエヴェン人(Eveny)と、彼らが広大なシベリアで営む遊牧生活の中でトナカイとの間に結ぶ強い紐帯に関して記述した民族誌です。この本を初めて読んだのは博論執筆中の大学院生の時でしたが、人類学者ヴィテブスキーの叙情的な文体、温かいユーモアのセンス、そしてそこに描かれた並々ならぬ経験に心を揺さぶられました。
Reindeer Peopleを読んだことで、優れた人類学者は優れたストーリーテラーでもなくてはならないと学びました。ストーリーテリングとは本質的に、私たちが研究する場所や協働する機会に恵まれた人々を、書き言葉と話し言葉を通じて世界に伝える行為です。それ以来、私は自分の研究をできるだけ面白く理解しやすいものにするため、研究者にとっても一般読者にとっても読みやすい文章を書くことを常に心がけています。
──あなたにとって理想の研究者像とは?
理想的な研究者は、専門分野や肩書きにかかわらず、好奇心が旺盛で親切な人です。学界では学位をもった聡明な人々にたくさん会いますが、すべての人が、レベルを問わず誰にでも思いやりと敬意をもって接することのできる心の知性を持ち合わせているわけではありません。
──研究成果を論文や本にまとめる際に苦労したことを教えていただけますか?
博士課程は、ある一つのテーマに継続的かつ集中的に取り組める(つまり博論執筆の)唯一の時間かもしれません。博士号を取得して以来、ポスドク時代に学位論文を本の原稿としてまとめ上げるのは本当に大変だと感じています。キャリアの初期段階で、論文の出版、人脈作り、就職活動と、複数の重要事項をやりくりしなければなりません。しかも毎年、異なる大陸の新たな国に移住し、これまでのつながりを維持しながら新たに築く必要があります。言い換えれば、予期せぬことが色々起こりますし、それもまた、本を書く経験の一部と言ってよいのかもしれません。
──研究や執筆に欠かせないもの、マストギアについて教えてください。
人類学者として、信頼できるペンと丈夫なノートなしにフィールドに出向くことはありえません。滑らかな書き心地が気に入って、いつも黒のパイロットJuice 0.38ミリのペンを使っています。長年、モレスキンのウィークリーダイアリーを使ってきましたが、日本に来てからは、フィールドでの個人的な日記帳としてトラベラーズ・ファクトリーのノートを使うようになりました。フィールドノートとしては、小さなバッグにちょうど収まるA5判のノートで十分です。結婚式などの社交的なイベントでは、分厚いノートで目立つことは避けたいですから。
──若い研究者におすすめの本はありますか?その理由も教えてください。
若い研究者におすすめしたい特定の本はありませんが、できるだけ研究分野以外の本を読むことをすすめたいです。そうすることで、研究から離れて一息つくことができますし、自分の研究に対して異なる視点をもつことができるでしょう。博論を執筆していたとき、モスクワ出身の友人がロシア文学を紹介してくれました。日中は図書館にこもって論文執筆に取り組み、帰宅後に毎晩、エブリマン版のゴーゴリ、ドストエフスキー、パステルナークの作品に浸りました。今でも私のお気に入りはトルストイの『戦争と平和』で、あまりに心を奪われて第4巻があればいいのにと思っていました。これらの本は現代マレーシアの一夫多妻と親密性のテーマには何の関わりもありませんが、だからこそ、当時切望していた休息を十分に与えてくれ、また翌日には気持ちを新たに博論執筆に戻ることができました。
──将来の野望をお聞かせください。
人類学、そして社会科学全般は、マレーシアでは常に過小評価されてきた学問です。将来は、マレーシアのような多文化・多宗教社会で生きていくうえで、人類学のような学問がどれほど不可欠で役に立つかについて、もっと社会の意識を高めていきたいと思っています。加えて、東南アジアやイスラーム世界の一夫多妻婚に関してはまだわからないことも多く、その点についてさらに明らかにしていきたいです。また、終身雇用の教授職に向かう伝統的なキャリアパスをたどることを求めないという、研究者としての未知の領域も探ってみたいです。もしかしたら、いつか京都で町家を購入してリノベしてゲストハウスを営みながら、研究者や一般読者に向けた本を書いていたりするかもしれない、それは誰にもわからないでしょう?
(2023年8月22日)