豊かな表現か、重い鎧か:京都で問い直す漢字と日本語の関係 – CSEAS Newsletter

豊かな表現か、重い鎧か:京都で問い直す漢字と日本語の関係

Newsletter No.83 2026-02-10

菊池 泰平(地域研究、ミャンマー史)

京都の繁華街、四条通を東へ。阪急の京都河原町駅や京阪の祇園四条駅から鴨川を過ぎ、そのまま真っすぐ進んでみてください。八坂神社のすぐ手前、祇園の交差点にひときわ目を引く建物が現れます。それが「漢字ミュージアム(日本漢字能力検定協会 漢字博物館・図書館)」です。

館内には、漢字がびっしりと並ぶ巨大な「漢字5万字タワー」や、お寿司屋さんの湯呑みでおなじみの「魚偏の漢字」を学べるコーナーなど、遊び心にあふれた展示が並んでいます。京都を訪れる際は、ぜひ足を運んでみてください。そこでは、テストの点数のためではない、文化としての文字が持つ圧倒的なエネルギーに触れることができるからです。

そんな漢字のワンダーランドを楽しんだ後に読むと、いっそう刺激的に感じられるのが、社会言語学者・田中克彦先生による『言語学者が語る漢字文明論』(講談社学術文庫)です。この本は、私たちが当たり前だと思っている「日本語と漢字の関係」に、鋭い疑問を投げかける一冊です。

田中先生はまず、漢字が「音」を写し取る文字ではなく、概念を示す「記号(表意文字)」であるという側面に着目します。例えば、私たちは「山」という文字を見て、迷わず「やま」と読みますが、中国では「シャン」と読みます。この性質を踏まえた上で、日本の漢字には、知的なヒエラルキーを維持するための「武装」という側面がある、と著者は指摘します。

困ったことに日本人は、時代が危機にたっていると感じると、やたらに漢字をふやしたり、敬語などのことば使いをきびしく見張って、ことばのむつかしさで武装する(田中 2017: 25)。

このように難しい漢字の知識で他者を圧倒し、内輪の論理を守る姿勢は、確かに「守りの固い言語」を作るかもしれません。しかし同時に、それは世界中の学習者を日本語の世界から遠ざけてしまうことにも繋がります。小難しい漢字語を捨てて、誰もが理解できる言葉で語ること。田中先生は、それこそが日本語を世間に開かれた言語へと変えていく道だと説いています。

さらに本書の視点は、日本を飛び出し、東アジア全域の歴史へと広がります。かつて中国文明の周辺にいた民族(突厥や契丹、西夏など)は、自分たちのアイデンティティを保つために、あえて漢字の影響から脱し、独自の文字を作ろうとしました。それは、漢字という巨大な文明システムが放つ強力な引力から抜け出し、自分たちの声を形にするための歴史的な挑戦であった、と田中先生は説いています。

こうした著者の文明史的な視座に触れるとき、現代の私たちの中にも、同じような「葛藤」が形を変えて流れていることに気づかされます。明治時代の「ローマ字会」による漢字廃止論や、石川啄木が誰にも読まれない内面を綴るために選んだ「ローマ字日記」。さらには、京都が生んだ知の巨人・梅棹忠夫氏が熱心なローマ字論者であったことも、その系譜に位置づけることができるのではないでしょうか。東南アジアをはじめ世界各地を調査した梅棹氏は、漢字という枠組みに縛られすぎることで、日本語の国際性が損なわれることに強い危機感を抱いていました。代表作『文明の生態史観』の驚くべき読みやすさは、まさにその思想の実践だったのかもしれません。

漢字があるからこそ、日本語は奥深くて豊かな表現ができるのか。それとも、漢字という重い鎧が、日本語の自由を奪っているのか。皆さんは、どちらの考えに近いでしょうか。京都で漢字の歴史に圧倒された後、鴨川のほとりでこの本を開き、毎日使っている文字について思いを巡らせてみてください。読み終わる頃には、ノートに書く一文字一文字が、昨日とは違った風景に見えてくるはずです。

(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))

本記事は英語でもお読みいただけます。>>
“Kanji: A Means of Rich Expression or a Barrier of Armor?”
by Taihei Kikuchi