ある生命科学者の幻滅 – CSEAS Newsletter

ある生命科学者の幻滅

Newsletter No.83 2026-03-11

オフィンニ ユディル(医学、地域ゲノミクス)

生涯をかけた仕事(研究、考え、情熱)が、知りもしないシステムや、考えたこともないシステムに加担しているとわかったら、科学者はどうすべきでしょうか。たぶん衝撃を受け、悔しい思いをするかもしれませんが、それ以上に、身が引き締まるような深い「幻滅」があります。

昨年、CSEASに着任したとき、私の胸にはすでに一種の幻滅感がありました。それまではあわただしい病棟と静まり返った生物医学研究所を行き来する毎日でしたが(どちらも単調です)、CSEASの開かれた地域研究の文化に救われました。しかし以来、もっと大きな疑問にさいなまれています。それは、生命科学の仕事についてだけでなく、生命科学の中立性の神話についてもです。中立性の神話は、生命科学が置かれている知と力の構造がつくり出したものです。

アメリカの人類学者セリア・ロウがCSEASを訪問した際にもそのような疑問がよぎりました。彼女の著書Wild Profusion [1]は、インドネシア・トギアン諸島における保全調査について扱っています。その調査は生物多様性の保護を意図していましたが、結果的には海洋公園づくりに力を貸すことになり、先住民であるサマ人の日々の漁労活動を制限する一方で、行政や観光業の利益を後押しする結果にもなったことを示しています。その後の論文 “Viral Sovereignty” [2]では、2006年に鳥インフルエンザが発生した際、インドネシア政府が世界保健機関(WHO)へのウイルス検体の提供を拒否し、富裕国が検体をワクチン開発に利用しつつ、その利益が当事国に還元されない体制を批判したことを論じています。この懸念が正しかったことは後に判明します[3]。そのような場合、科学が政治的・倫理的課題と関わることになりますが、生命科学者はどうすべきなのでしょう。

何よりもデータを信頼する実証主義者にとって、そうしたジレンマは、自分の仕事に対する姿勢、知識獲得の方法に恐ろしい盲点があることを浮かび上がらせます。私たちは、価値観、倫理、人々の生活への影響を立ち止まって考えず、測定可能な「事実」を執拗に追求するとき、「より大きな善」に貢献しているのだと自分に納得させながら、実は構造的な害を生み出しているのかもしれません。自分では「客観的」で「公平」で、「エビデンスに基づいている」と言っても、周縁化された人たちから見れば、私たちは巨大な抑圧者の肩に乗っているにすぎないのです。

その後、CSEASでもう一人のフェローと接したことが決定的な気づきとなりました。彼は医学博士号ともう一つ博士号をもっていて、ヨーロッパで有名な教授です。Nature誌やCell誌に論文を多数発表し、細胞の機能に不可欠なタンパク質群を発見しました。生命科学者ならだれでも誇りとするような業績です。ところが、ひどく幻滅しているんだと私に言うのです。生物医学研究がたどる歪んだ道筋に関する苦悩でした。公的助成を受けて生み出された科学的発見はつねに製薬会社に独り占めされ、莫大な私的資産を生み出しますが、そうして生まれた医薬品やワクチンや技術はグローバルサウスにほとんど届きません。

生まれ変われるのなら、途上国の社会経済開発にかかわる仕事を選ぶと言うのでした。彼が途上国で力を尽くせば、社会的に弱い立場にある人々の生活が本当の意味でよくなるかもしれないからです。私が心から敬意を抱いたのは、彼は生まれ変わるまで待たなかったことです。そうではなく、東南アジアの政治経済に携わるために社会科学の博士号を新たに取り、進む道をがらりと変えました。

イギリスの社会学者ニコラス・ローズは自著『生そのものの政治学(The Politics of Life Itself )』[4]でこうした緊張状態の多くを予測していました。彼は、人間の生活自体が管理と介入の場となる「生命政治(vital politics)」の出現を論じ、生物学は「もはやその人の人生を決める宿命ではない」と述べています。フーコーの『臨床医学の誕生』[5]やフランシス・フクヤマのポストヒューマンの懸念[6]を想起させますが、こうした考え方は21世紀の近代化とバイオテクノロジーの進歩によって強まりました。ローズは五つの重要な「変異」を挙げています。(1) 生命を「分子レベル」でとらえる関心の高まり、(2) 生物学的プロセスを「最適化」する試み、(3) 身体的条件を通じた人々の「主体化」(そこから生物学的シチズンシップ[7]が生まれる)、(4) 身体的健康を細かく管理する「身体専門家」の出現、(5) 生命そのものが利益へと変えられる「生命の活力をめぐる経済」(バイオ資本主義[8])。

そうした変異は劇的な断絶から生じるのではなく、ルーティン化した当たり前の毎日の小さな行為から生じると、ローズは示唆しています。CRISPR(クリスパー)や次世代シーケンシング、人工知能(AI)がなかったころにこの議論を書いたため、こうした変化の速度やその影響が、あとになって新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって明らかになるとは、十分に予測できていなかったでしょう。とはいえ、ローズのねらいは善悪の判断を下すことではなく、こうした変異がどのような未来をもたらすのか、読者に考えさせることにありました。おそらく未来は、きわめて生物学的ではあっても、やはり人間的な「立ち現れつつある新たな生命のかたち」を示すものになるでしょう。

ローズはアイルランドの社会学者デ・フィッツジェラルドとの共著The Urban Brain [9]でこうした問題意識を押し広げ、都市生活とメンタルヘルスの関係を考察しています。このテーマはこれまで社会学者と生物学者が別々に扱ってきたため、説明のつかない矛盾に陥っていました。たとえば、都市は機会[10]と移民の文化適応[11]の場だと見られており、精神疾患の発症率が農村地域より高いことが知られています[12]。一方で、統合失調症については、一部の途上国のほうが富裕国より回復しやすいと報告されています[13]。同書はまた、欧米の精神医学モデルの世界的拡大と、抗うつ薬の使用を推奨する都市の圧力についても批判的に分析しています。これらの問題に対してローズとフィッツジェラルドは「ヴァイタリズム(生命論)」を提起しています。これは、物質的・社会的・空間的環境(「取りまく」環境)をとおして生命を理解するアプローチです。二人は現代の神経科学の知見(神経可塑性やエピジェネティクスなど)を取り入れると同時に、生命科学者に対し、生命政治などの社会学的概念をそれぞれの研究に取り込むよう求めています。

さて、話を戻しますが、私はどうすればいいのでしょうか。もう一つ博士号をとる余裕はありませんし、社会学者のように知識を包括的にまとめ上げる能力があるとも思いません。その代わりに、私はこのCSEASにとどまり、学問分野の枠を超えて専門知識を拾い集めたいと考えています。中立性の神話に対する私の不安を人文・社会科学分野の同僚(研究室が廊下の真向かいにある)に打ち明けると、アパルトヘイトに抵抗したデズモンド・ツツの言葉を教えてくれました。「不正義を前にして中立でいるということは、抑圧する側の立場を選んだということだ」。

私たち生命科学者はたしかに「生命」を研究していますが、必然的に「生命の政治」を研究し、形成しているということでもあるのです。

参照文献

[1] Lowe, C. Wild Profusion: Biodiversity Conservation in an Indonesian Archipelago. Princeton University Press, 2006.

[2] Lowe, C. Viral Sovereignty: Security and Mistrust as Measures of Future Health in the Indonesian H5N1 Influenza Outbreak. Medicine Anthropology Theory 6, (2019).

[3] Deplazes-Zemp, A. et al. The Nagoya Protocol Could Backfire on the Global South. Nature Ecology & Evolution 2, 917–919 (2018).

[4] Rose, N. The Politics of Life Itself: Biomedicine, Power, and Subjectivity in the Twenty-First Century. Princeton University Press, 2007.(ニコラス・ローズ、檜垣立哉監訳、小倉拓也・佐古仁志・山崎吾郎訳『生そのものの政治学─二十一世紀の生物医学、権力、主体性』新装版、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局、2019年)

[5] Foucault, M. Naissance de la clinique: une archéologie du regard médical. Presses Universitaires de France, 1963.(ミシェル・フーコー、神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』新装版、みすず書房、2020年)

[6] Fukuyama, F. Our Posthuman Future: Consequences of the Biotechnology Revolution. Macmillan, 2003.(フランシス・フクヤマ、鈴木淑美訳『人間の終わり─バイオテクノロジーはなぜ危険か』ダイヤモンド社、2002年)

[7] Rose, N. & Novas, C. Biological Citizenship. In Global Assemblages: Technology, Politics, and Ethics as Anthropological Problems, ed. by Ong, A. & Collier, S. J., 439–463. (John Wiley & Sons, Ltd, 2007). doi:10.1002/9780470696569.ch23.

[8] Peters, M. A. & Venkatesan, P. Biocapitalism and the Politics of Life. Geopolitics, History, and International Relations 2, 100–122 (2010).

[9] Rose, N. & Fitzgerald, D. The Urban Brain: Mental Health in the Vital City. Princeton University Press, 2022.

[10] Lipton, M. Why Poor People Stay Poor. A Study of Urban Bias in World Development. 1977.

[11] Bhugra, D. Migration and Mental Health. Acta Psychiatrica Scandinavica 109, 243–258 (2004).

[12] Lederbogen, F. et al. City Living and Urban Upbringing Affect Neural Social Stress Processing in Humans. Nature 474, 498–501 (2011).

[13] Padma, T. V. Developing Countries: The Outcomes Paradox. Nature 508, S14–S15 (2014).

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“Disillusionment of a Life Scientist”
by Youdiil Ophinni