竹田 晋也(森林科学)
高校時代、机に向かう受験勉強が嫌になると、私は決まって探検紀行本を手に取りました。アプスリー・チェリー-ギャラードの『世界最悪の旅』で南極大陸の過酷な徒歩旅行を疑似体験し、浦松佐美太郎の『たった一人の山』を読んで大学生になって自由に山登りができる妄想を膨らませていました。それはまさに現実からの逃避でしたが、こうした時間が、私に本の上で世界を旅することを教えてくれました。
大学入学後、山岳部に所属して山の情報を得るために本を読むようになると、プラント・ハンターの物語の面白さにはまります。そのひとつが、ミャンマー北部・雲南・アッサムの奥地を踏査したキングドン-ウォードの著作群、なかでもミャンマー最北部を訪ねた『ビルマの氷の山々(Burma’s Icy Mountains)』でした。ウォードは1958年に亡くなっているので、もちろんお目にかかったことはありません。しかし、ウォードが生きていたと感じられる出来事が2度ありました。
一度目は、1984年にネパールから元体育大臣ご夫妻が来日され、河原町三条にあった京都ロイヤルホテルで夫妻を囲んだ昼食会が開かれたときのことです。同席した中尾佐助さんから、後に『花と木の文化史』に記されることになる話を聞きました。「私は中学生の頃から彼〔ウォード:筆者注〕の名は知ってあこがれていたが、戦後のマナスル登山隊に参加し、私自身ネパールで植物採集をして、その成果が英文の本で出版されたさい、この本のブック・レビューをウォードが書いてくれたので、たいへん嬉しかったものだ。しかしその中で彼は、私が発見したネパールの新種のサクラの花の色が黄色と記載されていることに、疑問を呈している」。中尾さんは本当に嬉しそうに、新種のサクラの発見を通じて、一人の探検家として憧れのウォードと対峙したエピソードを話してくれました。
二度目は、2011年3月にインド・アッサム州のトクライ試験場(Tocklai Experimental Station, Tea Research Association)を訪れたときのことです。突然の訪問にもかかわらず、職員の方々は快く案内してくださいました。見学の終盤に茶の品種の展示室があり、思いがけず、その壁面にウォードが採集した標本が展示されていました。トクライ試験場を拠点とした野生茶調査に関連し、『植物巡礼』の「茶をもとめて」の章には次のような記述があります。「チャは丘陵地の植物で、平野の植物ではない。茶の栽培や、その存在ですらが、とてもよく移動するタイ族が住んでいるか、住んできた、あるいは住んでいたであろう土地の、その周辺ばかりにあるように見えるのは、重要なことではないだろうか? 彼らの移動した長い道のりは、今でも茶の木で縁どられている。これを偶然の一致というのだろうか?」この文章を読むと、アッサムと東南アジアが地続きであることを実感できます。
ウォード自身も『植物巡礼』の中で、若いころから生物学探検の古典を次々に読んで、想像を膨らませ、そして植物探検のとりこになっていったと述べています。本を読んで想像した場所へのあこがれが、つぎの世代の調査研究の原動力になっていく。古典とよばれる探検紀行本には、そうした不思議な力が宿っています。
F. キングドン-ウォード著『植物巡礼─プラント・ハンターの回想』塚谷裕一訳、岩波書店、1999年。
Frank Kingdon-Ward. Pilgrimage for Plants. Biographical introduction and bibliography by William T. Stearn. London: George G. Harrap, 1960.
(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))
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“The Far North I Longed For” by Shinya Takeda

