建築と公衆衛生のあいだ – CSEAS Newsletter

建築と公衆衛生のあいだ

Newsletter No.82 2024-08-07

山田 千佳(公衆衛生、地域研究)

外来の技術が、ある地域に伝わっていく過程は、実に複雑だ。私は、ある公衆衛生に関する技術が、インドネシアで伝播する過程について調査しており、その過程をどう捉えれば良いか、頭を抱える毎日を過ごしている。そんな重たい頭を軽くしてくれたのは、CSEASの訪問研究者として、京都に半年滞在された米国シラキュース大学のローレンス・チュア先生の勧めで手に取った、ジア・ウィ・チャンの『熱帯建築の系譜:植民地ネットワーク、自然、科学技術』(2016年、原題A Genealogy of Tropical Architecture: Colonial Networks, Nature and Technoscience、邦訳は未刊行)だ。シンガポールを中心に熱帯域の建築史を描いた作品であり、別プロジェクトのために読み始めたのだが、まさかインドネシアの公衆衛生を考えるヒントも与えてくれるとは思ってもみなかった。速水洋子先生は、研究中に興奮する場面として、フィールド調査で見つけた事実について、どう考えるかというヒントを、別のフィールドや誰かの著書で見つけた時だと言われていたが、まさにそんな興奮が止まらない一冊となった。

熱帯の住居については、高温・高湿度において、いかに快適性を向上するかという議論を多く目にする。本書は、ミシェル・フーコーに倣い、熱帯建築の系譜を描くことを通して、そんな議論の前提を浮かび上がらせる。18世紀、遠征者らが熱帯を「発見」して以降、繰り返し現れるのは、熱帯の気候条件こそが、「文明化の遅れ、衛生状態の悪さ、快適性の欠如」といった「諸問題」の原因であるという言説である。これらは、(ネオ)ヒポクラティズム、瘴気説、病原体説など、その時々に主流の医学の学説に拠りながら、継承されていく。例えば、1950年代に熱帯建築学教育の基礎を築いたオットー・ケーニヒスベルガーは、授業の中で、地理学者エルズワース・ハンティントンらの気候決定論を軸に、国家の開発にとって、熱帯の気候条件は生理学的に不利であると教育した。そして、熱帯の「諸問題」は科学技術で解決できるとした。

本書がアクター・ネットワーク理論を参照しながら描くのは、科学技術と人間の活動が絡み合いながら熱帯建築というものを作り出し、カタチを変えながら広がっていく過程である。その様子は、不規則に編まれた網を媒介して何かが伝わっていくようだ。そして、網の結び目として登場するのは、為政者や建築家ではなく、英領の技術官僚らである。植民地初期には、そもそも建築家という職が存在せず、建設の指揮を取ったのは、土木技師であった。また、モノや無名の人々が果たした役割に光を当てる。当時の建築現場は(技術官僚からみて)「注意散漫で未熟練な」中国やインドからの移民に依存し、貝灰やヤシ殻等の入手可能な建材を重用するといった具合に、現場の状況が建築を決定し、異種混合的であった。

さらに、気候条件の議論の影で捨象されてきた、社会・政治・文化的な文脈を丁寧に描く。日本軍南進の脅威に備え、1941年に完成した英軍のチャンギ兵舎の設計では、瘴気論者であったフローレンス・ナイチンゲールの影響を受け、換気が最重視され、両側に窓のついた広い通路が設置された。さらに、空調付きの映画館やゴルフコース等の娯楽設備が併設された。その敷地のすぐ傍らでは、中国系移民らが過酷な長時間労働に従事させられ、結核やマラリアを煩っても薬が入手できず、その苦しみから逃れる手段として使ったアヘンが止められなくなるという事態に陥っていた。

そんな「不衛生・不健康な」民を統治するために、科学技術の一部として用いられた技法には、定量化、調査、地図制作、写真撮影、描画がある。ロンドン大学衛生熱帯医学大学院の創設者であるウィリアム・ジョン・リッチー・シンプソンは、5年間のショップハウスにおける結核死亡発生をマッピングし、病因は「劣悪な住環境」にあり、日光と新鮮な空気が不足しているためだと結論づけた。そして、健康の社会決定要因は差し置き、路地の幅や方向、屋根の角度などに規制を設ける解決策を提示した。

本書が描く、ポストコロニアル開発主義の文化の中で、技術が伝播し変容していく過程。それと同様の過程は公衆衛生の歴史にも見出せる。熱帯地域が往々にして不衛生で不健康であると見なされるのは、植民地時代の考えに根ざしており、現在も同様の言説が見られる。国際保健運動は、南側諸国への近代医学技術の導入を推進してきたが、現地の状況や要因による技術の変容に十分な注意が払われることは少ない。また、近代医学技術は、地域社会のあり方そのものを、意図しない形で変容させてきた。インドネシアにおけるその一例として、スハルト政権時代に推進された家族計画(keluarga berencana、KB)事業がある。避妊具などKBに関連する技術は、近代主義のグローバリゼーションの一環として導入された。世界保健機関は、政府が妊産婦死亡率を減少させたことを称賛したが、その影には、強制不妊手術のケースもあった。重要なのは、KBの手法とモダニズムの思想が、その後数十年にわたって同国の家族像や性別役割に関する言説に影響を与えたことだ。

「熱帯建築」という分野があるにもかかわらず、「温帯建築」は存在しない。この熱帯を冠した分野の存在の奇妙さは「熱帯医学」にも共通する。これらは、在来の建築や医療を指すのではなく、植民地主義やモダニズムから生まれた学問や外来の技術を意味してきた。本書は、こういった呼称にも見て取ることのできる、建築学と医学や公衆衛生学のあいだにある絡み合った歴史について、初めて私に教えてくれた本だった。

(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))

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“Between Architecture and Public Health”
by Chika Yamada