研究のフロンティアを探し求めて:人と自然と社会の共生 – CSEAS Newsletter

研究のフロンティアを探し求めて:
人と自然と社会の共生

Newsletter No.81 2024-03-13

河野泰之教授 退職記念インタビュー

河野泰之教授 略歴
1986年3月、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士取得。1987年7月京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア地域研究研究所)着任、2024年3月定年により退職。この間、1992年8月~1994年8月アジア工科大学院(AIT)灌漑工学経営プログラム助教授。2014年4月~2018年3月京都大学東南アジア地域研究研究所長。2018年4月より京都大学副学長および国際戦略本部長。専門は東南アジア研究、自然資源管理。主たる研究関心は、都市化の進行や商品作物栽培の普及のもとでの農業・農村の発展経路、地球規模課題に地域社会の社会、経済、自然を踏まえてアプローチする持続型生存基盤研究、最先端の科学技術とローカルな知の結合を目指す地域社会と科学技術イノベーションに関する研究等。

聞き手
富田 晋介(名古屋大学大学院環境学研究科特任准教授)
甲山 治(京都大学東南アジア地域研究研究所教授)
司会
木村 里子(京都大学東南アジア地域研究研究所准教授)

木村里子:本日はお集まりいただきありがとうございます。広報委員会では、今年度で定年退職を迎えられる河野泰之先生がこれまで歩んでこられた道のりを振り返り、今後の展望をうかがうため、富田晋介先生、甲山治先生のお二方に聞き手をお願いし、インタビューの機会を設けました。富田先生は東南アジア大陸部、特にラオス北部やタイ東北部における土地資源の利用をめぐる課題について農学、生態学の観点から研究を進めておられます。甲山先生はインドネシア熱帯泥炭湿地における大規模プランテーションの持続性に関して水文学の見地から研究を進めておられます。お二人は河野先生の共同研究者でもあります。私は司会を務めさせていただきます木村里子です。水中の大型生物、主に小型鯨類(イルカ類)などを対象とし、生物を定量的に観察する手法の開発と、それを用いた生態解明と環境影響評価に取り組んでいます。さっそくですが、ここからは富田先生、甲山先生、どうぞよろしくお願いいたします。

地域研究者としての出発:院生時代に東北タイ学術調査へ参加

富田晋介:本日は、河野さんがこれまで長く自然科学系の地域研究、および東南アジア研究を続けてこられた中で、何がわかったかについてお聞きします。まずは自然科学系の地域研究についておうかがいします。
 東南アジア地域研究研究所は、東南アジア研究センター(東南アジア研究センター、東南アジア地域研究所、東南アジア地域研究研究所と組織名の変遷があるが、以下、いずれも「東南研」の略称を使用する)の時代から、自然科学系と人文社会科学系の研究者が共同研究という形で協働してきました。これは地域研究を行う研究所の中では世界的に珍しいことで、東南研の特色となっています。さらに、自然科学系の地域研究者は世界的に見て珍しい存在です。人社系とは異なり、そもそも自然科学の研究者は専門分野を出るとそれきりで、戻れないと言われてきました。河野さんのご出身は東京大学農学部農業工学科(以下、「農工」と略)で、1980年代前半の大学院生時代に京大東南研の東北タイ・ドンデーン村調査に参加されました。農学では基本的に、村に住み込んで長期のフィールドワークを行うのは一般的な研究手法ではありませんが、ご出身の研究室は、当時どのような反応だったのでしょうか。また、どのような経緯で共同研究に参加されたのでしょうか。

河野泰之教授
富田晋介氏

河野泰之:フィールドワーク自体は東大農工でも行われていて、学生の頃は自分が変わったことをやっているという考えはなかったけれども、海外で長期定着調査を行ったのは僕だけでした。当時、東大の農工は1学年20人のうち、約3分の1は官僚、3分の1が土木建設業界、残り3分の1が研究の道へ進んでいました。官僚や民間志望者も皆優秀で農家出身も多く、友人だった会津のイチゴ農家の息子など真剣に日本の農業の未来を考えていたから、日本の農業のことはもう彼らに任せよう、僕は海外でやろうと思って、大学院に進みました。

富田:それで院生時代にインドネシア、タイへ行きましたが、地域研究者として海外でやっていこうと思われた直接のきっかけは何でしょうか。1987年に東南研に就職された当時は、地域研究はとても小さなコミュニティで、農工の方がコミュニティとしては大きかった。農工へ戻って就職することも、可能性としてはあったわけでしょう。

甲山治:学部時代に所属していた、ワンダーフォーゲル部の仲間の影響はありますか。

河野:地域研究者として海外でやっていくと特段、決心した覚えはないし、ワンゲル部員は1学年14人、皆企業に就職して、大学教員になったのは僕だけでした。
 今と違って当時は、海外に行ける機会はなかなかありませんでした。修士課程のときは、日本公営株式会社にお世話になって、インドネシア中部ジャワ州のウォノギリの灌漑プロジェクトの現場に滞在し、水源補強と末端水路整備の効果と影響を調べました。その頃、京大東南研では福井捷朗先生を中心に、学際的なチームによる東北タイのドンデーン村での臨地調査が始まっていました。その話を海田能宏先生が東大で集中講義をされた際にお聞きし、博士課程に進学してから調査チームに入れてもらい、83年8月から84年1月まで現地に滞在しました。ドンデーン村の稲作は天水田で営まれています。洪水や干ばつが収量を規定する顕著な要因でした。そこで、毎日、水田に溜まっている水の深さを測っていました。こうやって集めたデータをもとに天水田水稲作の生産力評価や収量向上の可能性を検討した成果を学位論文(「熱帯モンスーン地域の天水田の農業基盤の研究」1985年)としてまとめました。その後、87年に東南研で助手に採用していただきました。
 もちろん研究室では、日本でしっかり勉強してから海外へ行くべきといったことは言われましたし、就職は、農工分野へ戻る選択肢もありましたが、農工で国内の大学に就職するよりも、自分としては研究コミュニティの大小にかかわらず、やはり海外でやりたかった。当時は大学院生の売り手市場で、いくらでも就職の話が来ていたから、今から見ればずいぶん自分勝手な院生だったと思いますが、かといってそれでいじめられるようなことはなかったです。

学際的共同研究の推進:異分野交流から生まれる面白さの追求

富田:ありがとうございます。では次に、河野さんが続けてこられた学際的共同研究についておうかがいします。科研費データベースによると、河野さんのこれまでの科研費プロジェクトにおける共同研究者は213人です。東南研関係で同じ自然科学系の地域研究者としては、福井先生が131人、田中耕司先生が147人。河野さんと歳が近い速水洋子さんが106人、石川登さんが94人。他には水野広祐先生が110人、白石隆先生が100人、山田勇先生が113人、加藤剛先生が189人などとなっています。人社系の地域研究者としては加藤先生が一番多いですが、それでも河野さんが群を抜いています。
 つまり、常に新しい分野の研究者と積極的に関わってこられ、その中には農工以外の農学、農学以外の自然科学、さらに人文社会科学の各分野の研究者がいます。農学に限っても専門によって扱う言葉が異なり、研究の前提もかなり違いがありますが、農学以外となると使用する言語や概念に異文化交流と言っていいほどずれや違いがあり、コミュニケーションで苦労することも出てくると思います。河野先生は、科研のみならず地球研(総合地球環境学研究所)のプロジェクト(「アジア・熱帯モンスーン地域における生態史モデルの構築」「東南アジア沿岸域におけるエリアケイパビリティーの向上」)やグローバルCOEプログラム(「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」)など様々な人と関わる共同研究を、早くも助手時代から中核を担って推進してきました。学際的である地域研究者の中でも、特に学際性の強い共同研究を志向し推進してきたと言えますが、それはどのような理由からでしょうか。

河野:これは、私が指導教員だったTuyenさんや今日のインタビューに来てくれているYunxiさんからの質問にも通じると思います。共同研究は、自分が知らないことを知っている人とする方が楽しいし、さまざまな分野の専門家から話を聞いて勉強できるからです。知っていることが重なっていたら面白くない。実際に共同研究をやってみればコミュニケーションの問題も何とかなるでしょう。

甲山:お互いのアプローチをわかりあっている場合とそうでない場合とでは、声をかける際のハードルが違いませんか。研究会や飲み会で話すきっかけはあったとしても、共同研究へつなげて行くのはさらなる高みですが、河野さんは比較的そのハードルをすんなり乗り越えておられる気がします。

木村:私も同じように感じます。やってみなければわからないとおっしゃいますが、そもそもこれほど多くの研究者と組むのにどれほどの研究費を獲得されているのかと、その点もすごいなと思います。

甲山治氏
(右手奥から時計回りに)河野教授、富田氏、木村氏、甲山氏

甲山:科研費や様々な研究資金を獲得しにいく際には、どうしても手堅く計画を立てがちです。大型科研を申請して様々な分野の研究者と共同研究を行うとなると、それだけ事前準備にも骨が折れますが、新しい人と組む際のきっかけはどのようなものが多いですか。研究会や論文を読むなどでしょうか。

河野:自分の関心のあるテーマが多分野の研究者を必要とするのかもしれません。東大の人類生態学教室(医学研究科国際保健学専攻)とは大塚柳太郎先生を通じて以前から繋がりがありました。大塚先生とはアメリカのコロンビア大学へ行った時に知り合ったのですが、その後東大に僕を呼んでくれました。その時、同教室の梅崎昌裕さんと知り合い、東大に呼んでくれた代わりに、東南アジアの自然と農業研究会のスピーカーとして、彼に来ていただきました。梅崎さんとは僕の科研で一緒に中国へも行きました。渡辺一生君の場合は、岐阜大学(大学院連合農学研究科)で学位取得後に東南研に研究員としてやってきました。ドンデーン村ではいろんな人が彼を気に入って引っ張り回していたけれど、彼も地球研へ移った後、今は独立してやっています。もちろん、このように続く関係もあれば、続かなかったものもあります。続くかどうか、発展していくかどうかは、一緒にやってみなければわからないと思います。

富田:では次の質問です。学際的な共同研究を組織・推進する場合、ある程度の総意をもって推進しないと研究結果としてはバラバラなものになりがちですが、それを行うのは簡単ではないと思います。河野さんは何を重視して全体をまとめ上げようとしてきましたか。それは自然科学系の地域研究者であることと何か関係していますか。

河野:個々の研究の目的や意図を総意としてまとめるのは無理で、そもそもまとめる必要はないと思います。全体を覆う構想は必要ですが、焦点の定まった成果をまとめることが大切なのではなく、プロジェクトを一緒に推進していく過程で参加したみなさんが刺激しあうことがより大切です。刺激だけでは成果になりませんが、それぞれの次の研究にインパクトを与えていきます。

甲山:ただ、もう少し細かく見ると共同研究による小さな成果や結論がいろいろあったはずです。グローバルCOEに関してはやや話が大きすぎたけれど、とりあえず皆で共通のお題の下で議論してみましょう、そして参加メンバーなりの成果を目指し、各々の経路を発見して交流しあったという感じですよね。

河野:個々の結論はそれぞれありますが、全体の結論としては変わっていないということです。グローバルCOEはその際たるもので、申請書で最初に述べたことと報告書で結論したことはほぼ同じです。ただそのプロセスで皆が様々な刺激を受けたので、長い目で見ればプロセスは成果に反映されていく。それで大きな問題はないと考えています。

東南アジア研究の過去・現在・未来

富田:ありがとうございます。次に、河野さんの東南アジア研究者としての経験、研究の秘訣をおたずねします。京都大学のオンライン公開講義(「立ち止まって、考える」東南アジア研究「東南アジアの農村から不確実性を考える」)の中で河野さんは、農家の生活を豊かにするには、農業技術、農業生産など農学的な研究の推進だけでなく、社会を良くしていこうという研究が不可欠だとおっしゃっていました。農学部で教える農学では基本的にこのような発想はなく、地域を見てこられた地域研究者ならではの発想だと思います。もう一つ農学の発想にはないものとして、東南アジアの農村に生きる人々は農業だけに依存しない生業を形成しているとおっしゃっていました。2、30年前は多くの研究者が、東南アジアの農村も経済発展に伴って過去の日本のように生業が単純化・専業化していく、あるいは村は過疎化していくと考えました。しかし現在を見る限り、農村にはまだまだ人がいて、ドンデーン村でも生業の多様性が失われていません。東南アジアの農村が日本あるいは先進国型の発展とは異なる多様さに向かっているのは、どのような理由からだとお考えですか。

河野:多様な生業があるというのは、確かに今の瞬間をとればそう言えます。それがオンライン公開講義で述べたことですが、将来的にその傾向が続くかというと、疑わしい。ドンデーン村でもこの10年ほどで大卒や職業専門学校卒の若者が増加しました。彼らは役所や民間企業に就職して、今や30代になっていますが、農業には従事せず、ずっと専業です。高等教育を受ける若者が増えたことで、かなり変わる可能性があります。したがって東南アジアの農村は日本とは違う発展の道をたどると言い切ることには疑問を持っています。とはいえ、日本と同じようになるかというと、社会保障等の公的な制度の充実度や就業の安定性など、ガバナンスとサービスのレベルは確かに違うため、そうはならないとも思います。

富田:東北タイだけを見ても、農家が農業を捨てて異なる職業に移行すると予測した人がかなりいましたが、ここ4、50年の生業の変化を見た場合、専業化のスピードは遅く、単純化は急激には進まなかったわけです。一方で、都市に出た人々が出身の村にため池を作るといった投資をしています。日本ではあまり、出身の村に投資して灌漑設備を整備するといったことはなかったと思います。

河野:日本では、自分たちでやらなくても、国が土地改良を行って灌漑施設を整備してくれます。

富田:日本では、出先で新たに家族を持って生活し、そこに親を呼び寄せる人が多いと思います。東北タイでは、自分の子供を村の両親に預けて都市で働いている人が多いですが、そのまま村に戻らない人もいれば、中には戻る人もいます。この違いの要因は何でしょうか。先ほどおっしゃっていたように、国の社会保障が未整備で生活が不安定だから自分たちで何とかする、家族、親族レベルでセーフティネットを作り上げているという状況でしょうか。

河野:そういうこともありますし、タイでは女性の多くが働いているから子供を預けます。特に貧困層は都市へ出ていっても居住環境が悪く、将来的に田舎に引っ越すために投資しておくなども考えられます。さらに、土地は今も投資の対象で、土地の値段が上がるから投資する、そのことも大きいです。

富田:東北タイの水田は砂地で水環境が良いとは言えず、農業用地としては条件が悪い土地ですが、それでも投資するのは、経済的な理由の他に何かあるのでしょうか。ラオスでは定年退職するとコーヒー園や果樹園に引っ込むことをよく聞きます。

河野:タイでも、多少のお金を儲けた人が田舎に土地を買っておき、定年後農園暮らしという例はよく見られます。日本ではこれまであまりなかったかもしれませんが、そういうライフスタイルが好きな人が増えてくるかもしれません。

富田:これまでの地域研究の目標の一つに、地域の固有性を明らかにすることがあったと思いますが、先ほどの河野さんのお話では、農業や生業の変化に関して東南アジアの固有性はないということでしょうか。

河野:あるかどうか怪しいということです。かつては固有性があることを前提とし、1960〜70年代はそれを明らかにすることが地域研究、東南アジア研究の大命題で、当時はそれを皆疑っていませんでした。その自明性は今も様々な局面で残りつつも、一方で徐々に弱まってきているのは確かだと思います。固有性があるという前提で研究していると足をすくわれると考えるほうがよいかもしれません。
 問いの自明性が弱まっているのは、グローバリゼーションなど様々な要因があります。農業を見ても、昔は村の伝統的な技術を使ってそれぞれ固有のやり方で営んでいたのを、今はもうどこも機械で、トラクターで土を起こし、コンバイン・ハーベスターで収穫している状況です。やはり変わってきていると思います。

甲山:東南アジアの多様性については、同時代だけでなく長期にも観察し得るとも言えないでしょうか。インドネシアではゴムやココヤシを経て現在はアブラヤシが急拡大するなど、10年スパンでコロっとブームが変わるなど、ある意味で日本より柔軟というか、生態環境的な解がたくさんある、一つの解ではないという気がします。

河野:変わり身が早い面はあるかもしれませんが、これも中国と比べれば中国の方が変化の速度は速く、程度も大きいです。東南アジアはばらばらとしか変わっていませんし、日本は全然変わらない。ただ、そのことをもって東南アジアの固有性と言えるかというと、僕は同意しかねます。やはりその瞬間、その局面の制約条件が何かをきちんと見極める努力をし続けるべきだし、その条件にこそ固有性があると思います。見えている現象を取り上げてこれが固有性だと言っていると、足をすくわれるように思うのです。

富田:オンライン公開講義「立ち止まって、考える」の中で河野さんは、人間社会は将来にわたって不確実性を最小化していけるかというとそれは疑わしい。だから、今後、東南アジアの農村社会のように不確実性に適応した社会形成はできないだろうかとおっしゃっていました。グローバルCOEの持続的生存基盤研究の一つの主張は、熱帯の発展経路は温帯とは異なるということでしたが、当時の主張からだいぶ変わったということですか。

河野:東北タイやグローバルCOEで強調したのは不安定性で、東北タイの稲作についても、10年から30年の長期的視点で見て不安定であるとある程度言え、農家もそのことはわかっています。したがって少なくともこの100年、200年のスパンで見た時には東南アジアは日本とは違ったという話です。不確実性とは、何が起こるか、どこへ向かうか全く分からない、トレンドの変化を伴うものだから予測は難しい。これからどうなるかは未知数です。

不安定性に適応した社会形成:東南アジアからみえる日本のこれからについて

富田:なるほど。不安定性に適応した社会形成を日本でも目指す場合、現在、衰退の一途を辿っている農村が何らかの役割を担うとしたら、どのような条件が必要でしょうか。

河野:ギアツの「貧困の共有(shared poverty)」という概念があります。ジャワの話です。もともと人口稠密な稲作地帯で、さらに増え続ける人口を賄うために稲作への労働投入量を増やし、コメ産出量を増やすけれどもそれは増えた労働力を賄いきれるほどの量にはならず、一人当たりの生産量は減っていく。これが貧困の共有ですが、僕は現在の日本がそうなっていると思っています。皆すごく頑張っているけれども、いくら頑張っても徐々に、非常に緩慢な落ち目のトレンドになっている状況。農業全体も、実は大学もそうです。
 どうすればよいか。この状況は、昨日と今日、今日と明日とがほとんど変わらない、大多数の人々にとっては非常に居心地が良い、満足できる状況です。だから大多数には変えられない。これはやばいと思った者が既存のレジームを突破する、あるいは破壊して新たな居場所、ニッチを作るしかないと思う。農業も、大学もそうです。

富田:今のレジームでは、不安定性に適応した社会形成はかなり難しいと。高齢者はそうかもしれませんが、若い人はどうでしょう。明らかに将来、一人あたりの借金はどんどん増えていく状況ですが。

河野:京都大学の学生の就職状況を見ると、役人になる人は少なくなってきていますが、ほとんどが日本の大企業に就職していきます。よい給料をもらい、仕事もそれなりに励んで生活を楽しもうと、今の日本社会にどっぷり浸かって生きていこうとしているように見えます。借金は国の話で、もちろん増えすぎるとまずいけれど、人々の生活は非常にいい状況です。

甲山:国土も、食べものも安全です。

河野:アメリカの大学へ、あるいは卒業したらアメリカで就職など、隙あらば海外へ行こうと狙っている学生が多い国と、内向きで、できるだけ今いる場所で生活していこうと考える学生が大多数の国があり、日本は明らかに後者です。京都大学としては在学中にもっと海外を経験してほしいと訴えていますが、なかなか上手くいきません。京大だけではなく、他大学もそうでしょう。

甲山:東南アジアも、今はまだ外へ出たいという学生が多いですが、いずれそのようになるかもしれません。インドネシアもだんだん豊かになってきて、エリートのキャリアパスが国内の大学や教育機関で閉じてしまう傾向が高まるかもしれず、昔ほど海外に行く欲がなくなってきている可能性はあります。一方、私の調査地の中では、ウズベキスタンはまだまだすごいですけど。

河野:国際的な場で就職したい、活躍したいという人々の希望という意味では、タイはもう昔ほどではなく、ベトナムは、まだ少しあるかもしれません。2、3日前に韓国の大学の先生と話をした際には、学生がもう全く海外に行きたがらないと言っていました。

甲山:人類の平均値をとるとすれば、世界で名を上げようとする刺激的な人生よりも、安定を求める方が多数派でしょうから、人間の本質に回帰しているということかもしれません。

河野:確かに生まれた国で生きていくのが楽だろうとは思います。しかし現実にはそうはいかない国の人たちもおり、その上でこれだけ世の中のモビリティが高まっている現在、それでも私はいいですと言うことはどうなのか。

富田:日本は高度経済成長期には、今日より明日をもっと良くしようと考えた人が大多数だったのではないでしょうか。人口が減り続け経済も衰退していく現在の状態を、ここから変えるというのはなかなか難しそうです。

河野:そういう困難な状況を変えていかないといけないという共通認識が生まれ、議論が始まれば変わる可能性がありますが、今はそうなっていません。政権は安定しているし、若者は幸せそうだし、皆満足しているように見えます。

甲山:いろいろ文句は言うけれども、案外満足している。さらに悲惨なことが起こったり格差が極端に広がったりすると、ようやく社会が変わってくるのでしょう。

木村:確かに学生に接していると本当に海外には出なくて、現状に満足しているように見えます。家や車に特に興味はない、Wi-fiがあればいいと言われたこともあります。

富田:不思議です。子どもが大人になった時、彼らの将来が今よりさらに酷いのかと思うと、ちょっとかわいそうです。

河野:ドンデーン村の人は、子どもがいて、子世代のことを考えると所有している水田だけでは食べていけないと思うから開拓移住していました。そのタイでも子どもは少なくなってきています。

富田:少子化が、現状満足度の高さに関係しているといえるのでしょうか。

甲山:インドネシアでも子どもはどんどん少なくなってきています。都市だと1人か2人、田舎はもう少し多いですが。また、テクノロジーの進化によって、田舎の人たちの現状満足度は間違いなく高まっています。以前は皆、泥炭地は辺境の地だから早く他の土地に出たい、自分の子どもにはこの土地は使わせたくないと言っていたのが、今はアブラヤシもあり、携帯電話のアンテナも立ち、住み良いところだと言います。我々の故郷の風景はアブラヤシなのだから、燃えようが何をしようが周囲がとやかく言うなと。もちろんモノカルチャー的な生態環境の変化に、多少の疑問を持つ人はいますが。でも、それはグローバリゼーションとテクノロジーの進化に適応した態度だとも言えるのです。そして20年後はまた違うものがブームになっているかもしれません。そういう意味で、寒い地方に比べればタイやインドネシアには生業を安定させる解が複数あり、生産性の高低や貧富の差はあれども、生きていけるのは強いなと思うのです。日本の田舎でもおそらく生きていけるでしょうが、悲観的になりがちなのは、日本の自然条件がやや厳しいという違いはあると思います。

河野:今ヨーロッパを見ていると、熱波や洪水など突然不安定になりだしたことで、気候正義が叫ばれ、原発廃止、飛行機に乗らないなど、やや極端な形で人々の不安が顕在化しています。日本は台風や洪水など自然災害を経験しているから今日の気候変動にもそれほど大きな不安を抱いていないけれど、ヨーロッパの人々にとって今までに経験したことのないレベルの自然災害が発生し、大きなインパクトを受けているように感じます。

富田:現状満足という点に自然環境の安定性も関係しているとすれば、ヨーロッパの方が先に社会が変わっていく可能性があるでしょうか。

河野:ただウクライナ戦争の影響で、2030年の電力システム脱炭素化を目指すドイツも再び石炭火力を増やしました。カーボンニュートラルに向けたEV(電気自動車)化も今のままだと怪しい。そう簡単ではないと思います。

甲山:自然環境面で日本は比較的安定しているとはいえ、モンスーンや台風、熱帯低気圧的イベントによって撹乱を受けてきたので、そういうものがなかった地域と比べると耐性があると言えるでしょうね。これまでと同じような現象が少し増えている、少し強まっている、程度の認識です。本当は連続しているはずですが、欧米の方が、今までなかったことが発生しているように見えるのかもしれません。
 東南アジアと日本で僕が気になる一番の違いは、災害の後の態度です。国に対して補償を求める日本と、あまり期待してないインドネシアという違いがありますが、タイはいかがでしょうか。人々は国が面倒を見るべきだと思っているのかどうか。

河野:タイではもともと国はそれほど国民の面倒を見ていなかったけれど、タクシン政権以降は国と人々の距離が近くなってきています。今も大したことはしていませんが、人々は国からサポートを得ようとする。それが人々の選挙に対する関心を高め、その結果、ずっと政治が混乱しています。

富田:なるほど。人々が選挙に関心を持ち始めると社会が不安定になる。日本はあまり関心がないから安定する。

河野:日本のガバナンスのあり方には選択肢がない。国家と国民の関係が確立されてしまっていて、選択肢があるということを想像できないのではないのでしょうか。ただ、日本社会の将来は暗いとはいえ、そのことと一人ひとりの将来とは分けて考えるべきで、そこはそれぞれが開拓していくしかないとは思います。

再びドンデーン村調査へ:蓄積されたデータは何を語るか

〈CSEASクラシックス〉福井捷朗著『ドンデーン村──東北タイの農業生態』創文社、1988年

富田:次に東北タイのドンデーン村の長期定着調査についてうかがいます。この調査には40年間のデータの蓄積があり、河野さんもおっしゃっていたように、世界に類を見ない貴重なものです。ドンデーン村の一村研究で河野さんが最も面白いと思うことは何でしょうか。あるいは、ドンデーン村の研究を再開された理由、今お持ちの見込みについて教えてください。

河野:僕が関わったのは大学院生時代の1980年代と2020年代以降で、つまり、今また再び関わり出したところです。今後の調査では、東南アジアの固有性と言われてきたものについても考えようとしています。
 東北タイに限らず、東南アジアの1980年代から2000年代の20年間の変化はやはり大きく、何がどう変わったかをきちんと検証すべきですが、その際にデータの蓄積があるところで検討する方がわかりやすいでしょう。ドンデーン村で水田の区画単位での作況があるのは2002年までで、このデータから何が分かるかは宮川修一さんが分析しておられます。2023年4月に、小坂康之君が世話人を務める民族自然誌研究会で、「農地全筆調査の意味」というテーマで宮川さんと私が報告し、田中耕司さんがコメントするという研究会を岐阜大学の広田勲君が企画されました。宮川さんがドンデーン村の稲作について詳しく報告されたので、僕はドンデーン調査からは少し距離を置き、ディテールを見ていくことで何が議論できるかについて話しました(「全体と個─すべてを見ることの意義」)。宮川さんのデータを集計してわかることは、全体の傾向として徐々に水稲の収量は、年変動が小さくなり、かつ増加しているということです。わかっていないのは、個別の世帯単位で、コメ生産の不安定性と人々の生活、生業とがどう関係しているか、そのような因果関係が内在しているかです。1980年代と2000年の、後者はスナップショットですが、世帯単位の生業や経済状況、各世帯の水田におけるコメ生産量はある程度推定でき、各世帯にどういうインパクトを与えたかはわかるはずで、これに関しては渡辺君が取り組み始めたものの、結局分析には至っていません。2002年から2020年のコメのデータはありませんが、区画整理が進んで筆数、区画数が減り、かつてのように区画単位でコメの収量が変わるという状況ではなくなった現在、データをとったとしてもそれほど意味はないと思います。

富田:区画整理が進んで土地所有者も減っているのですか。

河野:区画のサイズが大きくなって、所有者は減らずに逆に増えています。

富田:所有者が土地を手放さず一区画を共有するということですか。

甲山:書類がちゃんとしていないと詳細は分からないけれども、長子相続や末子相続にはせずに、皆で分けるのですね。土地所有は経済力以外に村人である証など何らかの意味があるのでしょうか。

河野:村に住んでいない人たちが他の兄弟に作業を任せることもあります。また農地の貸借も増えていますが、皆あまり手放しませんね。手放さないのは面倒だからかもしれない。登記などちゃんとしようすると手間もお金もかかるので。

東南アジア研究を担っていく皆さんへ:研究所の社会的役割について

富田:では最後の質問です。現在もJASTIPのリーダーをされているので定年退職後も忙しく研究の時間も自由にはならないと思いますが、もし今後、すべての時間を研究に使えるならばどんな研究をしたいですか。

河野:そんな状況はあり得ないです。

富田:もしあったとしたら。仮定の話です。

甲山:夢の話です。

河野:まったく何の制約もない状況で、自分はこの研究がやりたいからとテーマを選んだことなどないですし、あまり寒いところに行くのは嫌だなという程度の好みはあるけれども、選べと言われても困ってしまう。巡ってきた機会の中で、ドンデーンもその時それしかチャンスがなかったから飛び込みました。あるいは世界と自分が置かれた状況の中で、なぜ今この研究を誰もやらないのか、誰もやらないのならば僕がやるしかないと思い始めた研究もあります。1999年からラオスを対象とした研究プロジェクトを立ち上げました。当時は農業と環境の関係が大きな課題になっていて、両者が最も明瞭に対峙していると考えられる山地農業や焼畑を研究するためです。その後、多くの人が同じような研究を始めたので、この研究については僕はもういいだろう、あとは富田君に任せようと手を引きました。JASTIPについても、東南アジア社会では、科学技術をいかに人々の生活に根付かせるか、地域社会が科学技術の進歩を受け入れるのみならず、地域社会に適応した科学技術を育成することが喫緊の課題であるのになぜ誰も取り組まないのか、農業の調査ばかりやっていてよいのかと疑問に思って始めたものです。

甲山:その誰もやらないことを引き受けてきたとおっしゃるモチベーションは何でしょう。安藤和雄さんは、俺は世界で貧乏なところばかりやっていると言っていました。僕は安藤さんの言い方を借りて、世界で理不尽な理由で人々が悲惨な目にあっているところを探して研究していると、よく言います。他人が思いつかない、思いついても普通の人はそこを行かない、それでも河野さんが研究したから陽が当たった、そこに道筋ができたということはありますよね。

富田:パイオニア型と言えるのかもしれませんが、お話を聞いていると、人と一緒はいや、違うことをしたいと。それは定年退職後もあまり変わらなさそうですね。

河野:他の人ができることはその人に任せたい、任せるべき、僕はしなくていいとは思っています。京大へ来た時、「お前は何をしたいねん」と聞かれてびっくりして。東大ではそんなこと聞かれたことはなく、これが東大と京大の違いかと思いました。どちらがどうと言うわけではないけれど、やりたいことはと聞かれて昔は考えようとしたけれど、もうそんなことで悩むのはええわと思って。僕みたいなタイプは珍しいかもしれない。

甲山:全体を見渡して、世界なり日本なり学術コミュニティがよい方向に向かうのであれば、他の人の研究であっても、自分のことでなくても、貢献することが面白いと思えるし嬉しいということでしょうか。じゃあ俺は誰もいない他のところでがんばろうと、利他的な基準は持っておられますよね。
 サッカーで言うポリバレントのように、組む相手によって役割を変えることもあったのではと思います。突っ走る人と組めばついていき、大人しい人と組めば引っ張る、どちらが多かったでしょう、あるいはどちらが楽しかったですか?

河野:東北タイの時はついていく方で、引っ張る方もいくつかやりました。ついていく方が楽ではあるけれど、どちらも楽しいですよ。

甲山:ついていく人によっては、その人がはまらないように先回りして穴を埋めて回らないといけないこともありますよね。

河野:それはよくあります。

富田:所長をされたことをはじめ、河野さんは基本的に引っ張る方ではないですか。

河野:それは、そのとき次第ですね。僕はこの研究所にお世話になっているから、みんなが所長をやれと言うならやらざるを得ないです。そういうものでしょう。

甲山:東京から東南研に来られて、見たことのない珍獣猛獣のような先生方が周りにいる環境で、最も変わったこと、影響を受けたことは何でしょうか。イランでお金がなくて桜井さんと乞食生活した話なども耳にしました。

河野:僕は28歳で東南研に来て、いわば半分子供だったから、すごく影響を受けたとは思います。当時は桜井由躬雄さんと足立明さん、もう一人朝鮮の専門家がいて、毎晩飲みに来いと言われていました。

富田:僕が河野さんに初めて会ったのは97年、そこから基本的には変わっていないと思いますが、以前はもう少し思ったことを率直に発言されていた。最近は少し我慢をされているように見えます。

河野:時々出ることはあるけれど、もっと言うべきなのかな? やはり、今の研究所に関しては言いたいことはあります。はっきり言うと現状に甘えていて、全然攻めていない、長期低下傾向がずっと続いています。これではあかん、もっとアグレッシブにならないと。研究所たるものがこんなに大人しかったら存続できるわけがないと思っています。

50周年記念行事でのスピーチ(2015年12月)

富田:河野さんの所長時代に、最も攻めたことは何でしょうか。

河野:(地域研究統合情報センターとの)統合だと思う。

富田:今の研究所はどう攻めるのが望ましいでしょう。

河野:それは執行部が船頭となるとしても、全員で考えるべきことです。ただ、現状に対する危機感があまり感じられません。世の中の人々は研究所などなくても困らない。極論すれば攻められない研究所など潰して行けばいいんです。

甲山:附置研の発想自体が20年くらいで更新するようなたてつけです。

富田:東南研は地域研究を標榜していかないといけないですよね。

河野:僕は東南研50周年の時から言い続けているけれど、かつて東南アジア研究の最大の課題だった東南アジア地域の固有性とは何かという問いは、今はもうあまり使い物にならない。Xiaobo君からの質問にも通じるところですが、それゆえ次の問いを作らないといけない。それは、これからの世界を作っていく上で東南アジア社会の知がどう貢献するかということだと思っています。

富田:学術的な発信という意味では、例えばスコットの『ゾミア』は東南アジア研究、文化人類学のジャンルをこえて読まれ、世界的にインパクトを与えましたが、そういった研究が東南研から発信されるべきだということでしょうか。アンダーソンの『想像の共同体』もそうですね。

河野:そうだと思います。『想像の共同体』は広い読者にインパクト与えたし、現在も与え続けています。ただ、これまでと同じような地域研究をこれからもやってほしいと言いたいわけではない。
 攻める時にはできる限り制約条件を外した方がいい、何かを背負わないといけないなどは瑣末なことで、今の社会にとって必要な研究をいかに自分たちで推進していくかを考え議論するということです。10億規模の予算でこれだけの人材がいるのだから、その成果を常に形にして出していれば地域研究は自ずと成長していくと思います。

甲山:自分としてもボールが回ってくるというか、そろそろ走らなきゃ、ちょっと背伸びしなきゃみたいなところはあります。現在進行中のダイキン工業との産学連携共同研究についても、東南研には色々ポテンシャルはあるけれども、何ができる、どう応えられるといった話をずっとしています。

富田:河野さんのメッセージを甲山さんが受け取られたということですね。

甲山:引き継ぎたいこととしては、河野さんの心に刺さる言葉に関してです。うちの研究室にいた現在南山大学の塩寺さとみさんも河野さんの言葉のファンです。僕が覚えているのは、自分に3番目の子どもが生まれた時、授業や会議にもれなく背負ったり抱っこして出ていたのですが、ある時河野さんに、「我々は人のことを研究しとるんやから、甲山くんも家庭のことで苦労した方がええわ」と言われました。僕は上司が河野さんと水野さんで、二人とも子育てに理解があってありがたかった。河野さんの言ったちょっとした言葉が残る、それは計画的に選び出されているというよりは、自然と、人徳として出ているのかと思います。
 人間の記憶って長く話しても覚えていないこともあれば、匂いや食べ物もそうですが、ちょっとしたことで残るものじゃないですか。そういうことを大切にしておられるのかなと。

河野:別に意図したわけでも大切にしているわけでもなく、その瞬間に感じたことを言うだけですが、喋ることは大事、まったく何もコメントしないよりコメントする方がいいということです。その分、あの時お前はこう言うたと、後々飲み会で言われるような逆の効果もあるけれど、それ以外に必要なことはあるかな?

甲山:ピンポイントで人の心に刺さる言葉を発する割合がやや高い、よく周りの人を見ておられるということですね。

木村:ありがとうございます。私は河野先生のご研究を直接には存じ上げなかったので、このような機会をいただいて本日お話をうかがって、オンライン公開講義も拝見して、研究の進め方や学術プロジェクトの推進をはじめ、とても勉強になりましたし、日本の未来について心配されていることもたいへんよくわかりました。最後に先生が資料としてご提供くださった年表に関連してお伺いしてよいですか? 年表では3つの画期を設けられています。1つはこの研究所に来られた時だと思いますが、残り2つはどういった時期でしょうか。

河野:2つ目の画期は上の子どもが小学校高学年になった頃で、海外の長期出張をやめた頃だと思います。80〜90年代は2、3ヶ月の出張を頻繁にしていたけれども、そこから先は長くて2週間くらい。子どもが小さい時は出張先に連れて行くこともありましたが、子どものことを見ていて、長期出張はあまりよろしくないと思いはじめた頃です。3つ目の2013年は所長になった年で、以降は長期のフィールドワークはさらに難しくなりました。所長を務めながら、公務を避けて2週間の出張はほぼ不可能です。フィールドワークの期間の長さというか、研究スタイルの画期で分けたのだと思います。

木村:とても興味深い年表で、私も真似をしたいと思いました。河野先生、本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

〈CSEASたんけん動画 地域研究へようこそ〉
「世代を越えてつながる──東北タイ・ドンデーン村 村落調査の半世紀」
本インタビューは2023年10月6日(金)、
京都大学稲盛財団記念館東南亭にて実施されました)

クロニクル:図表で振り返る研究の歩み

ギャラリー:写真で振り返る研究の歩み

1990–92年中国調査

AITの2年間

東南アジア大陸山地部

GCOEでいろいろと

沿岸域

カンボジア

学生・元学生とともに

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Trailblazing Researcher Yasuyuki Kono:
Rethinking the Coexistence of People, Nature, and Society in Southeast Asia