歴史研究の道しるべ – CSEAS Newsletter

歴史研究の道しるべ

Newsletter No.81 2023-07-12

テラ・トゥン(Theara Thun)
(歴史学、カンボジア/東南アジア研究。香港在住)

トンチャイ・ウィニッチャクン教授の学問的業績をたどり、また2023年度福岡アジア文化賞大賞受賞をお祝いして、Siam Mapped: A History of the Geo-body of a Nation(University of Hawaii Press, 1994; 邦訳『地図がつくったタイ──国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店、2003年)をご紹介できることをうれしく思います。本書は私が取り組むカンボジアの歴史研究にとってよき道しるべとなっており、以下ではそのことについても少しお話ししたいと思います。

「『地図がつくったタイ』は地図に関する本などではありません」。2013年7月、シンガポールにて私がアジャン・トンチャイ(アジャン(Ajarn)はタイ語で先生の意。以下では先生と表記)に本書へのサインを求めたとき、先生は私にこう伝えました。当時、シンガポール国立大学博士課程に在籍していた私は、自身の博士論文について先生に直接お会いして意見を聞くチャンスが何度もありました。先生は、「『地図がつくったタイ』は、近代以前の国や政体が、国民という強力かつ広範な集合的理解を携えた近代国民国家にいかに変わっていったかを研究したものです」とおっしゃいました。西洋からもたらされた地図作成という新技術がこの変容の中心にあったことで、シャム/タイ国は「地理的身体(geo-body)」という新たな地理的言説の下に置かれ、それが結果的に、地図上でも、また多くのシャム人の集合的意識の上でも、シャムを固定的で他から区別されうる国民国家へと変えていったのです。バンコクにいたシャムのエリート支配層は、軍事行動やプロパガンダによって、あるいはシャムの過去を新しい地理的身体に人工的に従わせる新たな国民の歴史を作り出すことを通じて、国家の領域という新しい考え方を強化しなければなりませんでした。

『地図がつくったタイ』を何度も読み返し、私は前近代および近代(およそ19世紀から20世紀半ば)にかけてのタイの歴史、さらには東南アジアの歴史に関する本書の深い洞察から多くを学びました。とりわけ、古くから東南アジアに一般的にみられる、領域や境界に対する重層的で複合的な主権概念に関するトンチャイ先生の創造的なアプローチには本当に目を開かれました。地図という新技術が東南アジアにもたらされたことは、シャムのような地域の大国がそれらをうまく利用し、フランスやイギリスなど前例のない植民地帝国支配の脅威に対して自らの主権を守り、強化したことを意味するだけではありませんでした。地図の採用は、メコン上流域やラオ族居住域における多くの小規模な首長国や統治組織の消滅にもつながったのです。したがって、この新しい技術の真の敗者となったのは、シャムおよびフランス両軍の進路にあたった弱小の首長国でした(p. 129; 邦訳237–238頁)。

私はこれまで、東南アジア、とりわけカンボジアにおいて、植民地支配を通じていかに西洋から新たな歴史学がもたらされたかを解明するため、トンチャイ先生の先駆的な研究を参照しながら同様のアプローチで研究を進めてきました。教育を受けたカンボジアのエリートは、伝統的な学問の素養があるとはいえ、地図作成技術同様、歴史学に関して西洋の考え方から多大な恩恵を受けてきました。しかし、全員とは言いませんが、彼らの多くは極めて保守的であったため、新しく導入された歴史学の手法はより慎重に、そしてばらばらに受容されていきました。彼らの行動から、地図が領域と境界に関する東南アジア固有の意識を置き換えたのとは異なり、西欧の歴史学が近代以前の歴史記述を完全に消し去ることはなかった、と結論するに至りました。実際、植民地支配のもとで、これら二つの考え方は、歴史学の中で、あるいは歴史という学問それ自体の新たな枠組みを作り出す過程で、橋渡しの役割を果たしたのです。私のこの研究は、Epistemology of the Past: Texts, History, and Intellectuals of Cambodia, 1850s-1970s(『過去の認識論──1850年代〜1970年代カンボジアのテクスト・歴史・知識人』)として、来年、ハワイ大学出版会から刊行される予定です。

(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))


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“My Signpost to the Past” by Theara Thun