坂本 龍太(フィールド医学)
幼い頃、姉と私が寝る前に母がいつも絵本の読み聞かせをしてくれた。小学生時代もよく図書館に連れていかれて、熱心に本を選んだ。一度に借りることができる冊数が限られていたから、何冊もの本を抱え、タイトルや挿絵、登場人物やあらすじを見比べながら天秤にかけるのだが、せっかく時間をかけて選んだ末に家に持って帰った本でも読まずに返してしまったものも多かった。つまり、自分は本を探すのは割と好きだったけれども、本を読むのが好きだったとはとても言えないわけだ。中学校の課題で川端康成著『雪国』の感想文が出た際、休暇中に遊び惚けていた私は直前になって宿題に気づき、冒頭の一文「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」だけについてグダグダと論じ立てた文を提出した。結果、普段は授業中に生徒が眠りこけていても怒らない温厚な先生から喝が入った。その小説が描く日本の美しさを力説くださっていた先生の期待を裏切ってしまったわけだ。だから、私はここで偉そうに本を紹介できるような人間ではない。
そんな自分でも僭越ながら鼻息を少し荒くして紹介したい本はある。『トム・ソーヤーの冒険』(マーク・トウェイン著)、『赤毛のアン』(ルーシー・モード・モンゴメリ著)、『寺内貫太郎一家』(向田邦子著)などである。「お前に紹介されんでも、全部知っとるわいっ!!」という声がしたのは気のせいだろうか。御存知のように、最初の本は夜中の墓地での事件目撃や洞窟での金貨探しという山場があるわけだが、私が格別に好きなのはそこではない。ミシシッピ川が流れるセントピーターズバーグでポリーおばさんの目を盗んで家を飛び出したり、疣取りの話やダニと抜けた歯の交換交渉でハックと盛り上がったり、ベッキーの気を惹きたくてしょうがないトムの何気ない日常の生活場面である。続く本も然りで、自然豊かなプリンスエドワード島グリーンゲーブルスで、おしゃべりで想像力豊かなアンがマリラやマシュー、ダイアナ、ギルバートらに囲まれて成長する日々、東京の台東区を舞台に頑固おやじと家族、近隣とのドタバタ群像劇である。一見どこにでもありそうなたわいもないやり取りではあるが、クスっと笑えて、ホロっとして、しみじみと来る。きっと著者たちは自らの実体験を基に、想像力を膨らませ、ワクワクしながら書いたんだろうなと、読んでいるこちらもなんだかうれしくなる。彼らが生身の人間として現実の世界に生きていたからこそ生まれた作品たちである。
所謂学者と呼ばれる者が書いたもので好きなのもそんな本だ。例えば、『自然と山と』(今西錦司著)、『春の数えかた』(日高敏隆著)、『ソロモンの指輪』(コンラート・ローレンツ著)などである。日常の中で感じた素朴な問いとそれを追求する探究心・遊び心、自然や生き物への温かい眼差しにあふれている。著者自身が生き生きと楽しんでいるようにも思える。自分もそんな本が書きたいと思う。
ちょうどここまで書いた時、バタンと部屋のドアが開き、しっかりママから伝言を受けたうちの長女が入ってきた。
「パパ、今日歯医者行くんじゃなかった!?」
「やっべぇ!!」
「ママーっ!パパがやっべぇ!って言ってる。」
ほんのついさっきまでは憶えていたのに、書き始めると飛んでしまう。そういう意味ではパパだって結構没頭しているのかもしれない。ブータンの本だって夢中で書いた。けれども、食卓の脇の本棚にあるその本を手に取ろうとする者は、まだ誰もいない。因果は廻るということか。善くしていこう!一つ一つ。
こうして、暑さが残る夏の夕暮れにパパは、チャリンコをかっ飛ばして歯医者へと向かうのであった。
(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))
本記事は英語でもお読みいただけます。>>
“The Brilliance of Daily Life” by Ryota Sakamoto