知られざるカンボジアの思想史を解き明かす – CSEAS Newsletter

知られざるカンボジアの思想史を解き明かす

Newsletter No.82 2024-08-07

テラ・トゥン(歴史学、香港在住)

たんけん動画5min. 「知られざるカンボジアの思想史を解き明かす」

拙著Epistemology of the Past: Texts, History, and Intellectuals of Cambodia, 1855–1970(『過去の認識論─1855-1970年におけるカンボジアのテキスト・歴史・知識人』ハワイ大学出版会、2024年。邦訳は未刊行)は、シンガポール国立大学(NUS)とハーバード大学ハーバード・イェンチン研究所の共同学位プログラムに基づいてNUSに提出し、優秀学位論文賞を受賞した博士論文をもとに再構成した研究書です。カンボジア、シンガポール、フランス、オランダ、アメリカ、日本、香港をはじめとする世界各地で7年以上にわたって広範囲に史資料を収集・分析した結果をまとめています。

本書では、前植民地期から植民地期、そして独立後にかけてのカンボジアの歴史認識の変遷を辿るため、史料のテキスト分析とカンボジアの知識人たちの思想史を組み合わせて批判的に検討しています。その目的は三つあり、一つは植民地期以前に普及していた東南アジアの思想伝統や、年代記をはじめとする文学実践の変容について考える道を拓くこと。次に、カンボジアが植民地化されていくこととなる19世紀から20世紀にかけての数十年の間に、新たな歴史や歴史に対する考え方がどのように生まれ、東南アジア地域に拡大していったかを探究すること。さらに、フランス、クメール、タイの人々の交流と新たな知識人コミュニティの出現、公教育機関の役割、出版文化の拡大の影響について考察することです。

本書で私は、カンボジアを含む東南アジア地域は、植民地主義と植民者が書く歴史に直面したことにより、それまでの歴史叙述と西洋の影響を受けた歴史学との間で、重大な認識論的変遷を経験したと主張しました。19世紀の多様な歴史学の伝統の中で用いられてきた言説を引用したり、再構成したり、組み合わせたり、場合によっては否定したりすることによって、20世紀の新しい歴史認識が生まれてきました(本書11–12頁)。そのことは、タイやカンボジア、マレーシアなど、現代の東南アジア社会における人々の理解、とりわけ大衆文化の中に、植民地期以前の在来の語りに由来する数々の要素が見出せることからも明らかです(124–131頁、およびBernard 2016、Sunait 2000などを参照)。東南アジアには西洋式の歴史認識に基づく近代国民国家が成立したのであり、古い歴史語りがそのまま受け継がれているとは言えません。しかし、人々が西洋式の歴史認識をすっかり身につけたわけでもありません。本書によれば、近代以前の在来の歴史叙述の方法が西洋式のそれに完全に入れかわるということはおきませんでした。むしろ、歴史表象に関わる二つの「伝統」の相互作用により、新たな歴史記述の方法が生み出されたのです(11頁。Thun 2020も参照)。このように、重要でありながらこれまであまり指摘されることのなかった問題を取り上げることで、本書は在来の語りに光をあて、また、植民地期およびその後の東南アジア社会と西洋との文化的、知的交流をよりよく理解することを目指しています。

在来のテキスト、知識人、歴史を復元する

フランス極東学院(EFEO)の写本コレクションより、1869年版クメール王朝年代記写本

本書に関して私が強調したい意義はまだあります。第一に、1970年代から80年代にかけてのカンボジア内戦およびクメール・ルージュによる粛清により、国内におけるクメール語(カンボジア語)文書、とりわけ19世紀から20世紀初頭にかけて作成された写本や印刷物が大量に失われました。そうした中、本書の大きな目的は、これらの損失を取り戻すことにありました。そのために、国内および世界各地の図書館、文書館から、17点のクメール語写本原本をはじめとする多くの印刷物やマイクロフィルム等の稀少資料を集めて掲載しました。また、これら核となる史料の内容や意味を、前植民地期、植民地期、独立後の東南アジアという長期にわたる歴史の流れの中で批判的に読み解くことで、議論と分析の俎上に載せました。

クラセム(1880年代生~1950年代没)はカンボジア人学者として高名(写真:Wikimedia Commons)

第二に、カンボジアの思想史を考察した数少ない書物の一つとして、本書はチュン、チュム・マウ、ニュク・テーム、クラセムら知識人の実像に迫りました。植民者による歴史学研究では、オーギュスト・パヴィ、アデマール・ルクレール、エティエンヌ・エイモニエ、ジョルジュ・セデスらフランス人学者が、カンボジア史および東南アジア史を書いた先駆者として広く知られています。しかし、カンボジア人学者の役割や貢献についてはこれまでほとんど論じられたことがなく、言及すらされてきませんでした。本書では、知られざるカンボジア人学者の経歴を詳しく検討し、当時の東南アジアやグローバルな知的潮流を取り入れて利用しながら新たな知識を再構成し、カンボジア社会の価値観の形成に深く関与した彼らの役割に光を当てています。さらに、東南アジアにおいては歴史家や王朝天文学者、宮廷役人、僧侶、教師、小説家、翻訳者などさまざまな人物が歴史形成に関与してきたことを示し、その実践の重層性と多様性を明らかにしています。

第三に、小学校から大学までを通して公教育の場で自国の歴史を教わってきたカンボジア人として、私は学校教師や大学教員の間に、カンボジア国民の歴史に対する深刻な認識不足があることに気づきました。このことは、従来のカンボジアの歴史が、本書冒頭で紹介した「キュウリ王」(農民が王になった話)のような神話上の人物や、神話的な特徴をもつ伝説上の支配者の説明と分かち難く結びついていることに関して、十分に学問的議論がなされていないことから生じています(1–2頁参照)。本書は、古くから伝わる年代記と植民地期の歴史学との接点を批判的に検討することで、これら歴史記述の二つの「伝統」が近代カンボジアの通史を形成する上でどのように絡み合い発展してきたかを論じ、この認識不足を補おうとしています。つまり、本書が提示する新たな視点は、東南アジア研究にとどまらず、カンボジアの学校教師や大学教員、そして一般読者にとっても、自国の歴史をより深く理解する上で重要であると考えています。

国立教育研究所のカンボジア史教師たち(プノンペン、2014年7月。撮影:テラ・トゥン)

さまざまな翻案

本書が、東南アジアと西洋との遭遇について研究する人々の目に留まることを願っています。特に第3章と第4章で述べた、クメール人、フランス人、タイ人三者間のつながりに関する議論では、当時のカンボジアにおいて知識人同士の交流が複雑なものだったことを示しています(63–109頁)。植民地支配期には東南アジア社会に対する西洋の影響力は甚大でした。カンボジアでは、フランスの植民地主義が国境を警備し、法律を制定し、行政改革を行い、新たな王や指導者を任命しました(Thun and Keo 2024やTully 2002に詳しく論じられています)。現地の有力者や仏教指導者と協力しながら、フランス人は近代カンボジアの集合的アイデンティティ、宗教、ナショナリズムを作り上げていきます(Edwards 2007およびHansen 2007)。しかし、歴史記述に限って言えば、カンボジアの国民の歴史を書いていく際に、僧侶を含むカンボジア人学者は植民地期を通してシャム(タイ)からのアイデアや枠組みを取り入れることを止めませんでした。この事実から、新しいカンボジアの歴史や文化や宗教といった国を作り上げるための様々な要素が、フランス式の採用やフランス人との提携によってのみ生み出されたものでは決してなかったことがわかります(109頁)。むしろ、東南アジアや西洋、そしておそらくは他の地域にも由来する多様な知識を汲みながら翻案し、流用していった過程の結果であると捉えることができます。

本書はまた、カンボジア人学者のさまざまな「型」についても論じています。彼らは、植民地支配期以前の歴史叙述の「伝統」と、ヨーロッパの新しい考古学的・実証的歴史学の「伝統」の双方に、それぞれ異なる仕方、異なる範囲で関わっていました(8–9頁)。宗主国における最新の研究テーマやアプローチを選択的に取り入れながら、歴史叙述における伝統的な方法を採用し続けた保守派が数多くいました。西洋の歴史記述の方法にふれ、こうしたやり方から徐々に離れていった学者もいました。彼らはそれぞれ自分たち流の歴史を提唱しようと競い合い、異なる軌跡を作り出し、それがしばしば混乱や矛盾につながりました。したがって本書では、植民地期からポストコロニアル時代を通じて、カンボジア人学者の間には決して「単一の」集合的歴史意識の雛型は存在しなかったと結論しました。自らの社会的・政治的状況に適した共通の価値観や理解を生み出すうえで外来の新しい考えや学問を受け入れる時、国内の学者の間にはかなり多様な反応があったのです。そして学者や指導者の間で外来の影響に対する解釈が常に異なる場合、地域における新しい集合的アイデンティティの歴史的生成を論じる際にはより慎重になる必要があります。彼らが生み出した新しい集合的アイデンティティの型もまた多様で、単純にカンボジア人、タイ人、ビルマ人といった一つのラベルを貼るだけでは、その多様性を汲み取ることはできないのです。

参考文献

Barnard, Timothy P. 2016. “Historiography and Shifting Interpretations of the Death of Sultan Mahmud Syah II.” Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society 89, no. 2: 1–23.

Edwards, Penny. 2007. Cambodge: The Cultivation of a Nation, 1860–1945. Honolulu: University of Hawai‘i Press.

Hansen, Anne. 2007. How to Behave: Buddhism and Modernity in Colonial Cambodia, 1860–1930. Honolulu: University of Hawai‘i Press.

Sunait, Chutintaranond. 2000. “Historical Writings, Historical Novels and Period Movies and Dramas: An Observation Concerning Burma in Thai Perception and Understanding.” Journal of Siam Society 88, nos. 1–2: 53–57.

Thun, Theara. 2020. “An epistemological shift from palace chronicles to scholarly Khmer historiography under French colonial rule.” Journal of Southeast Asian Studies 51, no. 1–2, 132–153.

Thun, Theara. 2024. Epistemology of the Past: Texts, History, and Intellectuals of Cambodia, 1855–1970. Honolulu: University of Hawai‘i Press.

Thun, Theara and Keo Duong. 2024. “Ethnocentrism of Victimhood: Tracing the Discourses of Khmer Ethnicity in Precolonial and Colonial Cambodia.” Asian Studies Review, April, 1–20. doi:10.1080/10357823.2024.2329085.

Tully, John A. 2002. France on the Mekong: A History of the Protectorate in Cambodia, 1863–1953. Lanham, MD: University Press of America.

本記事は英語でもお読みいただけます。>>
“Unveiling the Unknown Cambodia’s Intellectual Past:
A Glimpse into the Book” by Theara Thun