合評会:『ロヒンギャ危機─「民族浄化」の真相』『ミャンマー現代史』 – CSEAS Newsletter

合評会:『ロヒンギャ危機─「民族浄化」の真相』『ミャンマー現代史』

Newsletter No.81 2023-06-14

川本 佳苗(仏教研究)

2023年1月28日、中西嘉宏『ロヒンギャ危機─「民族浄化」の真相』(中公新書、2021年)および中西嘉宏『ミャンマー現代史』(岩波新書、2022年)に関する合評会が当研究所にて開催されました。前日からの降雪が残る京都に全国から40名近くの読者が集い、著者の中西准教授による「解題と裏話」、4名の気鋭の研究者による両書の詳細な読み解きが発表されました。以下は合評会のオーガナイザーを務められた川本佳苗氏(日本学術振興会特別研究員PD、東京大学東洋文化研究所)による報告です。

後援:
科研費・基盤研究(B)「脱領域化する国際規範・制度と国民国家の反動に関する研究─北部ラカイン州危機の事例」(研究代表者:中西嘉宏)
科研費・基盤研究(A)「民主主義体制における少数派排除のグローバル化─アジア・アフリカの比較研究」(研究代表者:中溝和弥)

2冊の執筆の背景

「ロヒンギャ」という言葉が国際ニュースで頻繁にとりあげられ日本にも届き始めたのは、2012年にラカイン州で発生したロヒンギャ・ムスリムと仏教徒との大規模な衝突を契機としていました。民政移管後の2017年には、数十万人ものロヒンギャが隣接するバングラデシュに難民として流入しました。ミャンマー側が国内メディアで「過激なテロリストによる暴動」といったネガティブな印象を煽る一方、国外では、国際連合人権理事会(United Nations Human Rights Council、以下UNHRC)が調査に着手し、国家顧問に就任直後だったアウンサンスーチーの非協力的な態度は批判を招きました。

しかし、メディアを駆け巡る「ロヒンギャ」が何を意味し、どのような文脈で用いられているかは、不明瞭なままでした。実際の難民の数がどれほどなのか、誰がどのように暴力行為を起こしたのか、どの村がどのように襲われたのかといった情報も玉石混交で混沌としていました。また、現地の情報にアクセスできるビルマ研究者とそうでない一般の理解には、大きな乖離が見られました。そこで中西先生としては、2017年から2018年にかけてUNHRCとミャンマー政府の両者が発表した報告書の他に、ネットや現地で収集した情報など十分な量の資料を加え、今こそそれらを解読して書に著す意義がありました。

日本だけでなく世界中のメディアが「ロヒンギャ」を難民問題として捉え、人道支援を常に議論の焦点に据えていました。現在も多くのロヒンギャが難民キャンプで暮らす以上、人道支援はもちろん必須です。『ロヒンギャ危機』では、「なぜ衝突が起きたのか」という問いをより俯瞰的に捉え、長期・中期・短期に分けて説明していったことが画期的な視点であったと思います。長期の分析としては、英国植民地下インドにおけるヒトの移動や社会・経済の変化のなかで、ラカイン北部のムスリムの位置づけとビルマナショナリズムの形成が読み解かれました。中期の分析においては、軍事政権が中央集権的な国家形成に付随する国民意識の高まりを利用したために、ラカイン北部のムスリムが弾圧され、無国籍とみなされるようになった経緯が描かれました。短期の視点では、民政移管の過程において、社会の自由化がむしろ民族間対立や宗教を原因とする紛争などの暴力を助長した事実が整理されました。

このような歴史の全貌を、新書というコンパクトな一般書に収斂することは中西先生にとって初めての試みでしたが、『ロヒンギャ危機』と題してクーデターが発生する10日前の2021年1月に刊行された本書は、同年、樫山純三賞、アジア・太平洋賞特別賞、サントリー学芸賞のトリプル受賞を遂げられました。

中西先生は当初、『ミャンマー現代史』を先に出版することを希望されていましたが、商業出版としての需要が見込めなかったためにいったん企画が頓挫していました。それが、2021年のクーデターで出版の機会が巡ってくることとなり、継続するコロナ禍で生まれた時間を生かして『ミャンマー現代史』の執筆に着手され、軍事クーデターが国際社会で忘れられないうちにと、短期集中して執筆されました。ロヒンギャ問題についてと同様、国際社会の関心は、軍事クーデターへの倫理的対応と問題の行方に集中していました。そうした世論に応答すべくまとめられた『ミャンマー現代史』は、ミャンマーの歴史において軍事政権時代からスーチー政権成立という一つの政変期がどのように特殊だったのか、あるいは同じパターンの繰り返しなのかといった「ミャンマー政治の制度的仕組み」を再考する試みでした。その主な議論は、ミャンマーにおいて民主化の象徴であるスーチーのカリスマを支えたNLDという政党と軍との関わり、タンシュエによる独裁的統治の特徴、民主化は軍とスーチー政権とが共存した形での危うい体制だったという事実の指摘、そして国際社会の対応の難しさなどでした。

合評会の開催

合評会は、さまざまな視点から2冊の著書に応答していただけるよう、広範囲かつ多様な分野から、かつ中西先生と同世代あるいはより若手の気鋭の研究者の方々に、ジェンダーバランスも考慮しながらコメンテーターをお願いしました。その結果として、ビルマ政治の専門家としてアジア経済研究所から長田紀之先生、ミャンマー国民の精神性に大きく関わる仏教観について述べていただくために東京大学東洋文化研究所から宗教人類学の藏本龍介先生、グローバルな視野から現在のミャンマーの軍事政権と外交を考察していただくために上智大学から国際政治専門の小林綾子先生、そして国際政治という観点でも東南アジア諸国との比較におけるミャンマーの立ち位置を分析していただくためにアジア経済研究所から谷口友季子先生にお越しいただきました。

合評会の後、中西先生はコメンテーターに謝意を表しつつ、歴史学、文化人類学、比較政治学、国際政治学の専門的視点から、本書の弱点と可能性について本質的かつ批判的な(否定的ではない)コメントをいただき、短い時間ながら討論できた時間は有意義で、自覚がなかった著作の欠点について知ることができたことは今後の糧になると述べられました。

資料作成時の思い出

私は中西先生の『ロヒンギャ危機』と『ミャンマー現代史』の執筆時に、資料整理や表の作成をお手伝いしました。コロナ禍でしたので、中西先生も私も長期出張がなく、作業に集中できた稀有な期間でした。作業は中西先生から新しい資料を受け取るたびに、どの情報を残し、どういう項目分けをするかなど、一緒に話し合ってトライ&エラーで進めていきました。『ロヒンギャ危機』の作業を終えた直後、中西先生からのご紹介で、アジア経済研究所からミャンマーの総選挙の結果リストを作成するお仕事をいただき、1月29日に納品しました。その数日前に『ロヒンギャ危機』も刊行されて中西先生とともに自分のことのように大喜びしていたのですが、3日後の2月1日に軍事クーデターが起きました。愕然としました。私が一生懸命作った選挙結果は国民全員の声そのものなのに、それが全く覆された、否定された事態が起きたのです。

『ミャンマー現代史』の作業で一番思い出に残っているのは、軍事クーデター発生後から2021年2月までの間に、軍による攻撃や民主化を求めるデモへの弾圧が原因で亡くなった犠牲者のリストを作ったときです。年齢順に整理しましたが、一番若かったのは生後1カ月で一番高齢だったのは90歳でした。さらに、各々の死因や亡くなられた場所の地名なども読んでいると、泣いて作業できなくなりました。

きっと中西先生も執筆していた間、ミャンマーでの思い出や友人知人のお顔が脳裏をかすめてつらくなった瞬間があったと思います。そんな生みの苦しみから著された2冊について、当日は著者とコメンテーター、そして参加してくださった皆様とで、存分に議論を重ねることができたと満足しています。

(2023年2月3日)

本記事は英語でもお読みいただけます。>>
“Book Review Symposium: “Rohingya” Crisis: The Violent Politics of Ethnicity and Religion in Myanmar 

and Contemporary Myanmar Politics” by Kanae Kawamoto