好奇心の陳列棚 – CSEAS Newsletter

好奇心の陳列棚

Newsletter No.82 2024-05-08

カロライン・ハウ(国際関係論、地域研究、文学)

マニラの小学校に通っていた頃、校舎の2階に動物の標本が展示された陳列棚があり、私はよくそこに入り浸って休み時間を過ごした。中でも両翼を広げた巨大コウモリ、ホルマリン漬けのヘビの巣、粉々になった卵殻の真ん中に踞るトカゲなどを飽きずに眺めていた。

兄が家で捕まえた2匹のゴキブリをアルコール漬けにして、発泡スチロールを切り取って作った台座にそっと載せ、ティコイ(華人の正月の祝菓子)の箱に取りつける科学の実験を行い、それが陳列棚のコレクションに加えられることになった時には感激した。

フィリピンの国民的作家であるレシル・モハレスは、その著書『不思議なモノたち:フィリピンにおける博物館の歴史への覚書』(アテネオ・デ・マニラ大学出版会、2023年、原題 Enigmatic Objects: Notes towards a History of the Museum in the Philippines邦訳は未刊行)において、膨大なモノの情報とその背景、独自の分析を魅力的な文章で綴っている。CSEASの招へい研究者であった頃、彼は鴨川沿いでコーヒー片手に読書することを好んだ。本書を読んでいると、モノの不思議に魅了されていた子どもの頃の記憶が呼び覚まされてくる。

本書に収められたエッセイ自体、紛れもない好奇心の陳列棚(Wunderkammer)である。曰く、「陳列棚(cabinet)」を意味するスペイン語由来のフィリピノ語「gabinete」は、もとは一つの家具ではなく部屋全体を指した。また、1865年の教育改革によって、中等教育を行う学校に独自の自然科学博物館、物理・化学実験室、植物園の設置が義務付けられた。さらに、聖職者たちが「最初の博物館の出現において重要な役割を果たした」(233頁)。そして、フィリピン初の公立博物館の設立計画(勅令が1887年、開館は1891年)は植民地政庁の長官が主導した、等々。

モハレスが指摘するように、「初期の珍品コレクションは、好奇心や娯楽、学習、社会的な威信など、さまざまな動機を満たした」。けれどもこれらの棚は、植民地帝国支配に裏打ちされた「象徴的な「世界の劇場」」の役割をも果たした。富と知識を得ることで、それらのモノたちの所有者は「世界の支配者」であることを誇示することができた(7頁)。

1887年にマドリッドで開催されたフィリピン諸島博覧会には、スペイン人の判事兼総督であったフアン・アルバレス・ゲラ(1843–1905)のコレクションが貸し出された。そこにはフィリピンにおける千年王国運動の民衆リーダー、アポリナリオ・デ゠ラ゠クルスの短剣、ミンダナオ島のムスリムの砦から奪取されたコーランのアラビア語写本、「エルゼビア社の書体と挿絵を用いた初版本に忠実かつ正確に」倣った「原住民」手書きの『ドン・キホーテ』などが含まれていた。

フィリピンのイルストラード(ilustrados、知識人や啓蒙家)は、自らも熱心な科学的知識のコレクターであり寄付者であった。国民的英雄ホセ・リサールは、トビトカゲ(flying lizards)、ヒョウトビガエル(harlequin tree frog)、2種の甲虫に自身の名前をつけた。さらに厄介なことに、彼はヒトの頭蓋骨を集め、頭骨計測(craniometry)に関心をもつ外国人記者に送ってもいたようだ。

私のお気に入りは、1841年にフィリピンの深海で「発見」された海綿動物カイロウドウケツ(Euplectella aspergillum、通称「ビーナスの花かご」)である。ドウケツエビ(Spongicola venusta)と呼ばれる一対のエビがこの海綿の中に住み、一生を終える。日本では中国の故事に由来する「偕老同穴」の字があてられ、夫婦が末永く仲良く暮らせるようにと結婚の結納品としても珍重されている。

(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))

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“Cabinet of Curiosities” by Caroline S. Hau