政治経済共生研究部門・機関研究員
修士(言語文化学、大阪大学)
専門は地域研究、ミャンマー近現代史
大阪大学言語文化研究科博士後期課程を単位取得満期退学して、2024年4月に着任しました。ミャンマーの近現代史、特に植民地統治から脱して国民国家を形成した時期を専門的に扱っています。
よく「どうしてミャンマーを研究しているのですか?」と聞かれます。私が直接的にミャンマーと関わりを持ったのは、学部時代にミャンマーの公用語であるビルマ語を専攻したのがきっかけでした。ちょうど民政移管に舵を切り、「アジア最後のフロンティア」と呼ばれ始めた頃で、何か変わったことをやってみたいという思いも相まって、まずは注目されている地域の言語を勉強することにしました。
学部から修士時代にかけてビルマ語を学ぶなかで、ミャンマーの言語や文化的な多様さを知るとともに、複雑な社会の統合を訴える語りにたくさん触れてきました。特に、2016、17年には、政府と少数民族武装勢力の停戦交渉が行われたので、新聞やSNSで、独立時の「連邦の精神」や、「民族団結」への回帰が盛んに謳われました。
私の関心は、まさに、このように「歴史を語る」という行為そのものにあります。歴史の語りは、それぞれの時代的な背景のもと、お互いに参照しながら/されながら生まれます。ただ、誰かが何らかの意図や文脈で歴史を語っていることに対して、私たちは極めて無頓着です。結果的に、語り手たちの主張を導き出すために、ある事象を都合よく解釈してしまうことや、同時代の「歴史の語り」を本質的に捉えてしまうことがあります。
もう少し具体的に説明すると、英領ビルマ統治時代の1930年代から、国民国家として独立した1948年を経て現在に至るまで、ミャンマーでは連邦制の構築に関してさまざまな語りが作られてきました。これまで私が研究対象としてきたのは、少数派の立場から、地方自治と国家統合の両方を担保する手段として、連邦制国家の設立を要求した政治活動家たちです。しかし、現代ミャンマー公定史は、彼らを国民国家の設立に貢献した少数民族政治家として単純化して描きます。その理由は、現代の視点を過去に投影して、出来事を解釈しているからに他なりません。
歴史は、一体いつ、どのような条件で、なぜ語られるのでしょうか。これを明らかにするため、植民地時代の行政文書と戦後に出版されたビルマ語の出版物(特に回想録)の読解をしています。研究を始めたばかりの頃は、単純に書かれたものを読んで内容を翻訳するだけだったのですが、ことばに関する研究として、それではまったく不十分です。著者と想定読者、時代背景や執筆の動機、書かれたものが伝達される形式(言語、媒体、出版社、サイズ、価格、発行部数、流通の方法)を常に意識しながら研究を進めています。1
本研究所は、豊富な現地語資料の蓄積がありますので、これからも引き続きビルマ語出版物の分析を進める予定ですが、今後はさらに国家統合をめぐる語りが生まれるプロセスについて、東南アジアや南アジアの近隣諸国とも比較してゆきたいです。また、本研究所では、学際的な環境のもと、さまざまな研究者と対話ができるので非常に楽しみです。