吉田 篤史
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)
カンボジア内戦とCEDORECK
CEDORECKは、フランスの大学で学んでいたカンボジア人青年労働者や知識人によって設立された。彼らは母国の悲劇に打ちのめされながらも、瀕死の状態にあったクメール文明に宿る価値を守るために立ち上がったのである。(Peycam 2011: 24)
1975年4月17日、カンボジアではポル・ポト率いるカンプチア共産党(通称クメール・ルージュ)が政権を握り、共産主義国家・民主カンプチアが成立した。彼らは、都市部の住民の農村部への強制移住や強制労働、学校教育の停止など、既存のあらゆる文化や社会を破壊する急進的な共産主義政策を断行した。研究者や作家などの知識人は虐殺の対象となり、カンボジアにおける学術活動は事実上壊滅に陥った。1979年にポル・ポトが崩壊するも、その後も続いた内戦により、国内の学術活動の復興は困難を極めた。
一方、それと時をほぼ同じくして、カンボジアに関する学術機関がフランスにて設立された。クメール文化文書・研究センター(CEDORECK, Center for Documentation, Research on Khmer Civilization / Centre de Documentation et de Recherche sur la Civilisation Khmère / មជ្ឈមណ្ឌលឯកសារស្រាវជ្រាវអារ្យធម៌ខ្មែរ)である。冒頭の引用は、設立者のヌート・ナランが同センター機関誌に寄せた一節である(Peycam 2011: 24)。1960年代から1970年代前半にかけてフランスに留学していたカンボジア人らが中心となって1977年に設立されたCEDORECKは、カンボジアの文化を保存し次世代へ継承していくために、国際的な援助を受けつつ多岐にわたる学術活動を行った(Peycam 2011: 23)。そして彼らの活動は、1991年の内戦終結後、カンボジア国内における学術再興に大きな影響を与えることになる。そこで本稿では、東南アジア地域研究研究所図書室(以下、東南研図書室)が所蔵するクメール語資料から、CEDORECKによる活動の一端を紐解いていく。
東南研図書室資料から読み解くCEDORECKの活動
東南研図書室は、2022年10月から2023年8月にかけて実施された約1,000冊の新規受け入れを経て、現在1,490冊のクメール語資料を所蔵している。そのうち約300冊は、2021年4月に急逝された故笹川秀夫教授(立命館アジア・太平洋大学)のご遺族からの寄贈本である。
これらの蔵書の中にはCEDORECKによる出版物も複数含まれており、彼らの活動について知る手掛かりとなる。例えば、『クメール音楽の概論』(原題លំនាំសង្ខេបនៃភ្លេងខ្មែរ、日本語題目は筆者による)の前書きには、CEDORECKによる出版活動の概要が書かれている。それによれば、同機関が出版した書物は①文学関連、②音楽芸術関連、③伝統文化関連、④上記以外のテーマを扱った「クメール図書館」シリーズの4種類である(ក្រុមជុំទុំនៀមទម្លាប់ 1984: III)。中でも文学作品関連の出版に力を入れていたようで、1981年時点で4種類の中で最も多い3,000冊の書籍を出版したという(ក្រុមជុំទុំនៀមទម្លាប់ 1984: III)。また、その他の資料を見ると、CEDORECKは機関独自の出版物のみならず、ポル・ポト政権以前にカンボジア国内で出版された書籍も復刻本として出版していたようである。
これらの点を踏まえつつ、以下では東南研図書室が所蔵する文学関連、音楽芸術関連、「クメール図書館」シリーズの書籍の一部を簡単に紹介していきたい。まず、文学作品の例として挙げられるのが、1981年に復刻版として出版された、ヌー・ハーイ著の『心の花輪』(មាលាដួងចិត្ត)である(筆者名及び題名の日本語訳は岡田(2015)に依拠している。また、原典の初版は1972年)[1]。ヌー・ハーイは、カンボジアで最も有名な小説家の一人であり、『心の花輪』は多くのカンボジア人が知る物語である。その詳細は是非翻訳本を一読していただきたいが、フランス植民地期末期のカンボジアを舞台とした恋愛物語からは、近代化の波に晒され変化する社会を駆け抜ける人々の葛藤が読み取れる。
次に、音楽芸術関連の例として紹介するのは、同じく復刻本として1984年に出版された先述の『クメール音楽の概論』である(原典の初版は1970年)。この本は、カンボジアの伝統楽器の種類や特徴、演奏方法から、冠婚葬祭で歌われる伝統的な歌の紹介まで、カンボジアの伝統音楽を網羅的に扱った一冊である。その一方、内容は決して専門的すぎず、イラストや写真も豊富に掲載されており、読者が理解しやすいよう工夫が施されている。カンボジアの伝統音楽に興味関心がある方は、ぜひ手に取っていただきたい。
最後に、「クメール図書館」シリーズの例として挙げられるのが1984年に出版された『アンコールワットの石碑』(原題សិលាចារិកនគរវត្ត、日本語題目は筆者による)である。カンボジアには、クメール王朝時代からの石碑が数多く残っており、植民地期以降、フランス人研究者らが中心となってそれらに対する研究が行われてきた。本書は、そんな石碑研究の蓄積を反映した専門書であり、カンボジアにおける石碑の特徴や碑文読解の手法が解説されている。また、古代クメール文字で記された碑文の現代クメール文字への翻字や、実際の寺院における石碑の配置図なども記載されており、資料集としての性格も有している。
以上の3冊は、東南研図書室が所蔵するCEDORECKによる出版物のごく一部に過ぎない。その他にも、今でも読み継がれる古典文学作品や古代都市・アンコールに関する学術書など、様々な分野の書物を配架している。また、各書物の前書きには、その本の出版に至った経緯など、CEDORECKを取り巻く環境や当時のカンボジア人知識人の学術活動に関する情報が豊富に記載されている。そのため、本文のみならず前書きも見どころの一つと言えよう。
おわりに
1991年10月23日、カンボジア和平に関するパリ和平協定が締結され長らく続いた内戦に終止符が打たれた。これを機に戦後復興の道を歩みだしたカンボジアでは、停滞していた社会経済活動と合わせて、学術活動も徐々に再興されていった。国内に新たな学術機関も設置されるようになり、その中には現在カンボジア研究の拠点となっているクメール研究センター(Center for Khmer Studies)など、CEDORECKの活動を参考に設立されたものも数多い(Peycam 2011: 30–31)。
CEDORECKによる活動は多岐にわたり、本稿が紹介した出版活動はその一部に過ぎない[2]。しかし、それらを紐解くことからも、内戦期にパリで始まり戦後学術復興においても影響を与えたCEDORECKの活動が、まさに戦禍を生き抜く学術活動であったことがうかがえるのである。
参考文献
ヌー・ハーイ著、岡田知子訳(2015)『萎れた花・心の花輪』大同生命国際文化基金。
California Revealed (n.d.) Khmer Dance and Music Project: KRISHNA N. Soeun, Dedoreck CEDORECK teaching Khon Siv at UCLA. https://californiarevealed.org/do/3d357159-6c72-460f-afd7-e75b6a3cd8ec (accessed on November 15, 2023).
Peycam, Philippe M.F. (2011) Sketching an Institutional History of Academic Knowledge Production in Cambodia (1863–2009) – Part 2. Sojourn: Journal of Social Issues in Southeast Asia 26(1): 26–35.
ក្រុមជុំទុំនៀមទម្លាប់ (1984) លំនាំសង្ខេបនៃភ្លេងខ្មែរ. Paris: CEDORECK.