マジッド・ダネシュガル(文献学、東洋学、宗教学)
2023年11月に来日してしばらくたったころ、京都大学東南アジア地域研究研究所図書室が所蔵する石井米雄コレクションの書庫を訪ねました。石井米雄教授(1929〜2010)は、日本における東南アジア研究およびタイの文化・通商史研究の発展に大きく寄与された方であり、その功績にまつわる文献を読み深めています。同教授が1971年にJournal of the Siam Society誌に発表された刺激的な論文“Seventeenth Century Japanese Documents About Siam”のことは以前から知っていましたが、同氏は異なる言語のさまざまな資料の収集に取り組まれていたのだと知り、驚きました。
石井米雄コレクションは東南アジアとヨーロッパに関する研究資料の宝庫であり、それらは私の今後の研究分野でもありますが、エジプト関連資料やイスラーム化されたビルマ人とシャン民族に関する資料もことのほか有益なものです。本稿は石井米雄コレクションに関する寄稿の第1回として、そのアラビア語資料を初めて紹介します。イスラーム化されたビルマ人とシャン民族に関する資料については後日書く予定です。
エジプト・アレクサンドリアにおける科学と歴史
注目していただきたいのは、アラビア語の新聞『アル=バスィール』(「見識のある」「知見に富んだ」の意)が石井米雄コレクションに入っていることです。この新聞は、ラシード・ビン・ハリール・シュマイイル(Rashid b. Khalil Shumayyil、ヒジュラ暦1347年/西暦1928年没)が1896年に創刊しました。シュマイイルは同胞のレバノン人に倣ってエジプトに移住し、有力日刊紙『アル=アフラーム』(「ピラミッド」の意)で働き始めました[1]。その後、アレクサンドリア(イスカンダリーヤ)で自ら新聞社を立ち上げました。そのころ、当地のムスリムとキリスト教徒はイスラームと科学をめぐって激論を交わしていました。当時、イスラーム世界全体が混乱の渦中にあり、彼は新聞を発行して科学と産業の分野でヨーロッパの宗主国と張り合おうとしていました。アラブ人は科学的進歩を遂げることができるのかどうかが大きな社会的関心事(大問題)となっており、エジプト中で広く議論されていました[2]。こうしたなか、シュマイイルの『アル=バスィール』はアラブ人にアイデンティティと一体感と誇りを与えようと、アラブの遺産と優れた功績を伝えていきました。同紙の発行は1964年まで続きました。
ここで紹介するのは、1949年に発行された『アル=バスィール』です。24面建てで、科学、技術、農業、社会事象、都市計画に関する写真や告知、ニュースが満載です。この特別号の書は、エジプトの著名なコーラン書写者でアラビア書道家であったムハンマド・イブラーヒーム(Ustadh Muhammad Ibrahim)によるものです[3]。イブラーヒームはアレクサンドリアで「ハッタート」(アラビア書道の大家)の称号を与えられ、その名声は彼の技術、特に、クルアーン全体を1枚の紙に描き込む技術によって広く知れ渡りました。
まず『アル=バスィール』の1面では、影響力ある思想家で政策立案者でもあったムハンマド・ターヒル・パシャ(Muhammad Tahir Pasha、1879~1970)が、エジプト人同士の情報交換に果たす新聞の重要な役割を肯定的に論じています。
2面は、クルアーン(第89章第7~8節)[4]を引用し、「文学、歴史、産業」を取り上げています。編集者はここで、エジプト、とりわけアレクサンドリアが人類の歴史と科学の形成にいかに貢献したかを浮き彫りにしています。
他に次のような記事が載っています。
- 1面 アラブ銀行
- 8面 アラブ港運会社
- 12面 国産綿織物
- 13面 国内の繊維会社
- 14面 国内で生産される洗剤と健康関連品(これは19世紀以来、エジプトのイスラームと科学に関する議論において、盛んに取り上げられてきた話題です[5])
この新聞は20世紀のエジプトに関する豊かな情報源であり、アラブ人が科学と産業の分野でいかに自立を図ろうとしたかを教えてくれます。石井米雄コレクションの一資料ですが、地域を超えたアジア研究の重要性を深く考えさせるものです。
注
[1] Kh. al-Ziriklī, al-a‘lam、および “Rashid b. Khalil Shumayyil”(https://tarajm.com/people/48689、最終閲覧2024年11月12日)を参照。
[2] M. Daneshgar, Tantawi Jawhari and the Qur’an: Tafsir and Social Concerns in the Twentieth Century (London: Routledge, 2018) を参照。
[3] 没年は1950年か1970年か不詳。イブラーヒームの生涯については、http://www.alexandria.gov.eg/Alexandria/Lists/famous_1/DispForm.aspx?ID=70を参照。
[4] “˹the people˺ of Iram—with ˹their˺ great stature; unmatched in any other land,” www.Quran.comを参照。
[5] M. Daneshgar. “An Egyptian Medical Officer and Qurʾān Commentator in Ottoman Syria: Muḥammad b. Aḥmad al-Iskandarānī and His Tafāsīr in the 19th Century.” Oriente Moderno 101, no. 1 (2021): 44–69。Daneshgar, Tantawi Jawhari and the Qur’anも参照。
謝辞
翻訳記事を作成するにあたり、原陸郎氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科大学院生)にご助力いただきました。記してお礼申し上げます。
ご案内
石井米雄コレクションの目録をご覧になりたい方は東南アジア地域研究研究所図書室までお問い合わせください。
東南アジア研究の古典を無料公開する「CSEASクラシックス」では石井米雄教授の下記の著作2点を公開しています。
石井米雄『上座部仏教の政治社会学』創文社、1975年
石井米雄編『東南アジア世界の構造と変容』創文社、1986年