マジッド・ダネシュガル(文献学、東洋学、宗教学)
東南アジアの文書や資料は私設の図書館や公共図書館に数多く保存されていますが、それらの価値に見合った関心を集めてはいません。そこでもう1点紹介したいと思います。現代の東南アジアの仏教中心地のもので、イスラーム資料と非イスラーム資料の両方を含んでいます。
京都大学東南アジア地域研究研究所図書室の石井米雄コレクションに不可思議な紙筒があります(分類記号I.1)。この紙筒には「チェンマイの歴史地図」と記された蔵書票が貼られていますが、その中に現代のタイに関する資料は何も入っていません。代わりにビルマ(ミャンマー)で作成された興味深い資料がいろいろと入っていて、以下で見ていきたいと思います。これらの資料は3つの種類に分類することができます。そのうち2つ(以下のAとC)はビルマ語だけで書かれていますが、Bの背景にはイスラーム化されたビルマが見てとれます。
A)第1の資料は、杖、太鼓、扇を手にしたビルマ人仏教僧の写真です。注記によると、1993年12月26日に撮影されています。
B)Aの仏教関連の資料とは違って、これはヤンゴンのムスリム団体が作成したもので、1997年(ヒジュラ暦1317~1318年)の壁掛けカレンダーです。最初のページにはクルアーン第1章がアラビア語で書かれていて、彩飾されています。そこにビルマ語の表記(ဥရသွလီပါသိတယ်/ အဖွင့်ကဏ္ဍ)も添えられています。おそらく当地のマドラサ(イスラーム学校)と親密な関係にあったマウラヴィ(イスラームの宗教学者)によるものでしょう[1]。カレンダーの2枚目は1997年1月から始まります。注目すべきは、ヒジュラ暦の月(シャーバーン、ラマダーンなど)が記されていることではなく、曜日名のイスラーム表記の仕方です。マレーシアとインドネシアでは何世紀もの間、アラビア文字やペルシア文字を改変した表記法が使用されていましたが(たとえばジャウィ、ぺゴン)、ビルマ人ムスリムはビルマ語の曜日をアラビア文字やペルシア文字で表記せず、ウルドゥー語を使っています。たとえば、月曜日はတနင်္လာとپیر、火曜日はအင်္ဂါとمنگلというように2つの表記があります(図1)。日付もアラビア数字、ウルドゥー数字、ビルマ数字で記されています[2]。これも当地のマドラサで作成されたからかもしれません。マドラサでは、「クルアーンと預言者の言行録(ハディース)を読むが、指導言語としてはビルマ語かウルドゥー語を選択する」からです[3]。

この資料は、南アジアのイスラームが東南アジアの仏教界にどこまで影響したのかを示しています。この2つの地域の関係に関する私たちの知識は、それ以前の旅行記や古い資料にほぼ限定されるものの、それらを読むと、インド人ムスリムやペルシア人、アラブ人(およびその子孫)の果たした役割が浮かび上がります[4]。近年の研究では、17世紀半ばにイスファハーンやインドのペルシア人がビルマやタイで文化活動をしていたことを記した資料も発見されています[5]。研究者は、現代における地域を超えた影響の起源を、(Bの資料を基に)過去の旅行記や手記に見いだすことができるのでしょうか。さらに言えば、日本の著名な東南アジア研究者が所蔵していた、東南アジアのこうしたイスラーム資料を繙くと、西アジアと東アジアの歴史的関係に関する研究がいかに不可欠であるかがわかります。一方について学べば学ぶほど、他方についても理解が深まるのです。
C)ビルマ語だけで表記された1997年のカレンダーもあります。「シャン文学・文化委員会」など、さまざまな学部や学会の遺産を広く知らせる目的で、ヤンゴン大学動物学科が作成したものです。どのページにも、さまざまな学問分野で学んだ卒業生や在学生男女の写真が載っています。チャイントンのリショー地域で印刷されたカレンダーもわずかながらあります。
注
[1] ビルマ(アラカン、モッタマ)におけるイスラームの起源については、Mohammaed Mohiyuddin Mohammed Sulaiman, “Islamic Education in Myanmar: a case study,” In Dictatorship, Disorder and Decline in Myanmar, eds. M. Skidmore and T. Wilson (Canberra: The Australian National University E Press, 2008), pp. 177–191を参照。
[2] ただし、アラビア文字はヒジュラ暦と月を紹介するために使われている。
[3] Mohammaed Mohiyuddin Mohammed Sulaiman, “Islamic Education in Myanmar,” p. 179. ヤンゴンにおけるウルドゥー語イスラーム文献の影響についてさらに詳しくは、Judith Beyer, Rethinking Community in Myanmar: Practices of We-Formation among Muslims and Hindus in Urban Yangon (Honolulu: University of Hawai‘i Press, 2024) を参照。
[4] 18世紀以後の旅行記については、Arash Khazeni, The City and the Wilderness: Indo-Persian Encounters in Southeast Asia (California: University of California Press, 2020) を参照。
[5] 近く刊行される筆者の論文 “A Persian Shiʿi Anthology Circulating in Patna, Dhaka and Siam in the Seventeenth Century: A Lesser-known Ship of Persians to South-East Asia,” In Iran and Persianate Culture in the Indian Ocean World, edited by A. C. S. Peacock (London: Bloomsbury, 2025), pp. 249–260を参照。この論文は、17世紀後半にシャムに渡来した有名な「スレイマーンの船」以前の資料を取り上げている。
謝辞
翻訳記事を作成するにあたり、菊池泰平氏(京都大学東南アジア地域研究研究所機関研究員)にご助力いただきました。記してお礼申し上げます。
ご案内
石井米雄コレクションの目録をご覧になりたい方は東南アジア地域研究研究所図書室までお問い合わせください。
東南アジア研究の古典を無料公開する「CSEASクラシックス」では石井米雄教授の下記の著作2点を公開しています。
石井米雄『上座部仏教の政治社会学』創文社、1975年
石井米雄編『東南アジア世界の構造と変容』創文社、1986年