〈ダバオ滞在記2〉歴史認識論争と草の根の歴史観 – CSEAS Newsletter

〈ダバオ滞在記2〉
歴史認識論争と草の根の歴史観

Newsletter No.82 2024-06-12

土屋 喜生(東南アジア地域研究、近現代史)

ウォルター・リップマンは『世論』(岩波文庫、1987年。原著は1922年刊)の中で次のようなたとえ話を引用しています。4人の男性が1本の街灯の下にいる。1人目はその塗装をするため、2人目は読書をするため、3人目は酔った勢いで街灯に抱きつくため、4人目はそこが逢引きの目印だから。「4人の男性が1本の街灯の下にいる」という数字だけに囚われてしまえば、彼らがそこにいる動機も、その後の彼らの行動も見誤ってしまうと、リップマンは指摘しています(上巻、39頁)。

現在私はフィリピンで「ミンダナオ民衆の個人史から再考する20世紀─草の根保守層の形成に関する調査」という研究プロジェクトを組織しています。そこでは、世論の背後にある多種多様な人々の文脈を理解するために、いわゆるオーディナリーピープル、普通の人々の体験談を歴史学の対象として収集するという作業を行っています。アテネオ・デ・ダバオ大学に出向しているのですが、学生たちにも彼ら自身の関心に沿ってオーラルヒストリーに取り組み、彼らの社会独自の問題や東南アジア諸国の共通課題を探求することを促しています。彼らの協力もあり、現在までに約250件の個人史やオーラルヒストリーが集まっています。

アテネオ・デ・ダバオ大学には非常に多様な出自の学生が集まっており、私が受け持つクラスだけでも、キリスト教徒やイスラム教徒、フィリピン語で「原住民」を意味するルマド、地域的にはダバオやバンサモロ自治区や島外の地域、政治家やテロ指定組織アブ・サヤフのメンバーがいる家庭から来た学生などもいます。

「先生、私の家族はアブ・サヤフだったんですよ!私が小学生の時にスールーで降参して、今は政府軍側で働いているんです」
「そうなの。うちは親戚がラナオで誘拐されたことがあるけど、ちゃんと生きて帰ってきたよ。お互い大変だね」
「ラナオだったら、うちのグループではないですね。でも生きて帰ってこられて本当によかったですね」

学生たちとダバオの街を散策

昼食を取りながら、ある学生とこんな会話をしたこともありました。このような時間も貴重なフィールドワークです。今回の記事では、私の問題意識の一部に触れた後、アテネオ・デ・ダバオ大学の学生が集めた2件のインタビューを紹介し、考察したいと思います。

フィリピンにおける歴史認識論争

近年フィリピンでは、1986年のエドサ革命以降フィリピン政治に強い影響を及ぼしてきたアキーノ一族や彼らに近い政治家たちの選挙における得票率が下がり、ミンダナオ出身のロドリーゴ・ドゥテルテ(前大統領、任期2016–22年)やかつての独裁者、フェルディナンド・マルコス(元大統領、任期1965–86年)の息子であるボンボン・マルコス現大統領等の政治家が台頭してきました。これにより、「暗黒時代としてのマルコス大統領の戒厳令時代(1972–86年)、そこからの解放としてのエドサ革命」という約30年間に渡って支配的であり続けた歴史認識に疑問が投げかけられることになりました。

しかし、対抗する歴史語りとして新たに公の場に登場したのは、戒厳令時代を「黄金時代」、エドサ革命以後を「まやかしによる反逆」としてとらえ直す、かつての独裁者の末裔であるマルコス一族の物語だったのです。『キリスト受難詩と革命─1840〜1910年のフィリピン民衆運動』(法政大学出版局、2005年。原著は1979年刊)で「下層からの歴史」を提唱したレイナルド・C・イレートの学生だった私は、これらのアキーノやマルコスといった少数エリートの経験を中心に構成された「フィリピン政治史」の物語を補完する、あるいはそれに代わる「現代の人々の歴史」を書くための方法を模索し始めました。

そのため、今回の研究では、2016年にロドリーゴ・ドゥテルテ、2022年にボンボン・マルコスに投票した大多数のミンダナオの「普通の人々」が、どのような経験を通してそのような投票行為に至ったのか、彼らの言葉で語ってもらい、彼らの歴史語りの多様性や共通点を明らかにしようと狙いました。

ダバオ博物館にて
ピープルズ・パークにて

ある工場労働者と農園経営者が語った政権交代の体験談

2人の方の体験談を紹介します。1人目は1965年生まれで、ダバオや海外で工場労働者として働いた経験を持つ男性です。彼は戒厳令時代とマルコスによる独裁が打倒されたエドサ革命以後を、自身の回想を通して語りました。

「戒厳令当時は、生活が今よりシンプルに感じられました。人々はとても質素な生活をしていました。それがある人々が『黄金時代』と呼ぶ理由かもしれませんが、このような言い方は誤解に基づいているのかもしれません。今ほど贅沢ではなかったけれども、私たちの時代には物価が非常に安かったのです。1日の困難を解決できれば、それで十分だと考えられていました」

エドサ革命以後の政権交代については、こう続けました。

「今は憲法が変わり、民主的になって自由があります。戒厳令時代には制限がありましたが、今の私たちには声があります。しかし、治政に関して言えば、実際には何も変わっていません。フィリピンの状況はさらに悪化しました。役人の腐敗は増加し、アキーノ政権期に(一般民衆の)経済は衰退しました。だから、私は政府を信用していません。自分たちのことは、自分たちで守るしかないのです。政治家たちは役立たずです。彼らは自分の個人的な利益にだけ関心があり、人々のことは気にかけていません。政治家たちは私たちの懸念に対して何の行動も起こさないため、自由に発言しても、私たちの意見は聞かれないままです。私たちはただ疲れているのです」1

端的に言えば、この男性は戒厳令時代とエドサ革命以後を比較した上で、「汚職や経済格差等の面で時代はさらに悪くなった」と分析しているのです。

2人目は、1947年生まれで、東部ダバオに位置するパントゥカンにて農園の経営に携わってきた女性です。この方は家族や彼女自身の労働を通して地主階級となった経験を持っています。彼女は、戒厳令以前の自身の青春時代を振り返って、やはり「今よりいろいろなことが単純で、安価だった」と回想し、1970年代の戒厳令の始まりを次のように振り返りました。

「戒厳令発令前、私たち農民たちはマルコス政権下である程度幸せでした。なぜならココナッツ農園を開墾し、真面目に経営すれば、次の世代の家族まで養うことができたからです」
「ダバオでは1975年に新人民軍(New People’s Army、共産党系の反政府武装組織)がやってきました。当時は彼らがたくさんいました。組織の記念日だと言って、彼らは農園にやって来て金銭や家畜(例えば2、3頭の牛)を要求しました。要求を断れない時もありました。彼らは武器を持っていて、私たちは武器を持っていないからです」

実際に反政府武装組織が農園にやってきたことを振り返り、彼らを取り締まるための戒厳令が必要悪であったとします。エドサ革命に質問が及ぶと、彼女は「革命はマニラで起きたのであり、ダバオでは起きなかった」と断った上で、次のように語り始めました。

「私自身の経験について言えば、マルコス時代はまあまあ許容範囲だったため、コーリー(コラソン・アキーノ元大統領のこと)も大丈夫だろうと思っていました。もっと良いことが起こるだろうとさえ思っていました。しかし、彼女は土地改革プログラム、CARP(Comprehensive Agrarian Reform Program、包括的農地改革計画)を実施し、失敗しました。これは私たちが直に経験したことです。私たちが築いてきた財産は細切れにされました。ちょうどそれは私の夫が脳卒中を患った時期で、上の2人の子供たちは既にラサール大学で勉強していました。ですから、私たちにとっては財政状況に大きな影響が出て本当に大変でした。長男は大学での学びを諦めて、農場を管理するために戻ってきました」2

彼女は「コーリーは共産主義者よ」と罵倒しながら、「自分たちの努力や狡知(diskarte)によって」地主階級となった一族がエドサ革命以後の政策によって翻弄されつつも、再度努力と狡知によって生き延びたという物語を語りました。

人々の経験と彼ら/彼女らの歴史観

性別も階級も働いてきた分野も異なるこの2人の個人的な経験から見た政権交代の物語は、私がこれまで集めてきた体験談の中では突飛でも少数派でもありません。多くのミンダナオ民衆に共通するテーマを含んでいます。

一つは、自由と発言権の拡大、それに伴う欲求や欲望の増大とその喪失です。ブータン発祥の国民総幸福量の概念を思い起こさせる語りですが、「エドサ革命によって増大した政治への希望は、それが満たされなかったことによって失望に変わった」というものです。このような語りは、一部専門家が言うようにミンダナオの人々がフェルディナンド・マルコスの治政を無根拠に美化していることを表すわけではありません。人々は異なる治政を比較した上で、「大した変化はなかった」「政治に失望した」「個々人の自助努力や狡知で生き延びるしかない」という評価を下しています。また、こうして明らかになるのは、我々研究者の側にも、マルコスの問題を語る際にエドサ革命以後の問題を語らないという偏りがあることです。3

公開講義後に学生たちと(アテネオ・デ・ダバオ大学)
カダヤワン祭りにて(ダバオ)

そして、異なる治政の比較や評価に用いられる基本的な尺度には、人々の日常生活・安定性・幸福・商品の適正価値・努力が報われる社会かどうかなどが含まれ、必ずしも我々現代の学者が普段用いる民主政・自由・国内総生産・国民総生産といった尺度には限られないことです。そして、世論の背後にあるものをより深く理解するには、彼らのような一般の投票者たちの世界観・経験・尺度・価値観を理解する必要があります。4 今回はたった2人の草の根の歴史観の紹介に留めましたが、今後、さらに多くの個人史を紹介していけたらと思います。

(2024年4月11日)

1 Kristine Cosares氏による匿名氏へのインタビュー、 “Interview: Comparison of the Martial Law Era and Post EDSA Period in Local Perspective”(2024年3月31日)。

2 Gabriel Te氏によるI氏へのインタビュー、“Mindanao Farm Owner’s Experience during the Martial Law Era up to post-EDSA Period”(2024年3月26日)。

3 次の記事も参照。土屋喜生「リヴァイアサンのいない場所:ある死を通して認識のギャップを問う(ダバオ滞在記1)」CSEASニューズレター、2023年12月13日)

4 次の動画で筆者のオーラルヒストリー研究の一端を紹介しています。土屋喜生「元密輸人女性が語る 町と国際ネットワークの現代史 」(「たんけん動画 地域研究へようこそ」京都大学東南アジア地域研究研究所、2022年11月11日)

本記事は英語でもお読みいただけます。>>
“Mindanao Perceptions of Past and Present as an Alternative
to Conventional Narratives of Recent Philippine History”
by Kisho Tsuchiya